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『夢と創造の果てに ジョン・レノン最後の詩』を観た

夢と創造の果てに ジョン・レノン最後の詩

ジョン・レノンのドキュメンタリー映像は既にいくつかあるが、生涯最後の10年にスポットをあてた映画を観た。関係者によるインタビューが7割、アーカイブ映像が3割くらいの構成だ。

冒頭が、ツアープロデューサーやギタリストのアール・スリックのコメントだった。内容を聞くうち、1980年リリースの『Double Fantasy』の翌年にジョンがツアーをおこなう準備をしていたことがわかった。過去5年間は音楽活動を休止し主夫業をしていたので、本人や関係者だけでなく世間にとっても待望のツアーになるはずだった。

以降は、音楽活動よりもジョンの生活面を中心に語られる。本作の宣伝文句では生涯最後の10年にとされているが、実際はビートルズ時代のことも含まれている。両親が離婚しジョンは母親を選んだが、ビートルズが成功すると父が会いに来た。ひと通りの対面はしたが、以前の関係のままでよいと判断したという、インタビュー映像も流れた。ジョンを預り育てたミミおばさんも、インタビューにこたえていた。

オノ・ヨーコとの出会いは、当時前衛的な芸術家だったヨーコの展示にジョンが立ち寄ったのがきっかけだ。ヨーコはパトロンを求めていてジョンもそれを承知したという、生々しいコメントもあった。関係者の間では、ヨーコの評判はよろしくない。ジョンは『Double Fantasy』を自身の曲のみでリリースするつもりだったが、ヨーコが強く主張して1曲ずつ交互に収録される形式になった。

ビートルズ解散後、ジョンとポール・マッカートニーは攻撃し合っていた。『Imagine』収録の『How Do You Sleep?』は有名だが、その後公の場でこういうことはやめようと和解した。そこまでは知っていた。がしかし、1974年にふたりが再会しセッションしていたというのは知らなかった。酒とドラッグにまみれてその場のノリでのセッションだったので、正式音源化はされていない。

終盤がジョン最後の日について語られるのは、必然だった。ダコタ・ハウスに住んでいた画家が、事件の一部始終を絵に描いていた。また、テレビプロデューサーがプライベートでバイク事故に遭い、運ばれてきた病院に後からジョンが運ばれてきた。聞き耳をたてるうちジョンだと知ったこの男は、看護師をなんとか言いくるめてテレビ局に電話し、生放送中にスクープを突っ込んだ。

リンゴ・スターとジョージ・ハリスンが揃ってテレビ出演し、ふたりともジョンの死を悲しみをこらえながら語っていた。ポールは、路上でインタビューを受ける映像が流されていた。前妻シンシアとの間に生まれた、ショーンの映像もあった。後で調べたら、当時13歳だった。

ジョンはさておき、ヨーコも過去の映像の中でしか登場しない。なので、公認かどうかは微妙なところだが、その割には胡散臭さがあまりない、良作だったと思う。

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