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『レッド・ツェッペリン:ビカミング』を観た

『レッド・ツェッペリン:ビカミング』を観た

これまで何度も噂されてきた、レッド・ツェッペリンのドキュメンタリー映画。それが、2025年についに実現した。

4人それぞれの、少年期からスタート。ジョン・ポール・ジョーンズ(以下JPJ)の両親が曲芸師だったこと、ロバート・プラントの両親は彼に公認会計士になってほしいと思っていたことなどのエピソードは、興味深かった。ジョン・ボーナムは、10歳でドラムを始めたそうだ。ジミー・ペイジとJPJはセッションミュージシャンとして活動し、ロバートとボーナムはいくつかのバンドをこなすもなかなか開花できずにいた。

そして1968年。4人が揃い、アトランティックと契約を交わす一方、短時間でファーストアルバムをレコーディング。年末から全米ツアーに出て、翌1969年1月にファーストがリリース。英国では、少し遅れて3月にリリースされた。夏場には早くも2度目の全米ツアーに出ると、その合間を縫ってセカンドアルバムをレコーディング。同年の10月にリリースする。1969年の1年は、なんと濃密なことか。

ジミーはシングルヒットを望まず、アルバム1枚をまるごと扱うラジオ局で流されることを目指した。『Whole Lotta Love』がシングルカットされないよう、テルミンを入れるなど凝った音作りをした(それでも結局シングルカットされてしまっているが)。ロバートが曲を作るようになったのは、ツェッペリンに加入してからだった。興味深いエピソードが、どんどん溢れ出てくる。

貴重な映像や写真の数々にも、驚かされる。ファーストアルバムのレコーディング模様、全米ツアー中にロバートがラジオに出演しファンと電話で会話、スタジオ収録で子供客が音の大きさに耳をふさぐ場面、そしてこれまで公式発表されなかったライヴパフォーマンスだ。

ジミーといえばギブソンのレスポールがトレードマークになっている印象だが、『Good Times Bad Times』など数曲では、なんとテレキャスターを弾いていた。ヤードバーズ時代に、ジェフ・ベックからもらったそうだ。

ボーナムは決して大柄でもマッチョでもない中肉中背の体型で、力任せに叩いているわけでもない。それなのに爆音が出せるのが、観ていて不思議だった。この人は結婚が早く、幼いジェイソンの写真も既に確認できた。夫人は、ツェッペリン加入前はロバートとは関わるなと言っていたそうだ(笑)。

今回、IMAXシアターで観た。映像はもとの素材の状態もあってクリアとは言えないものもあったが、音に関しては迫力が凄まじく、臨場感に満ちていて、選んで正解だった。ツェッペリンのライヴ映像が2025年に劇場で流れているのは快挙だと、感動を噛み締めた。

進行はナレーションも関係者の証言もなく、コメントしているのはジミー、JPJ、ロバート。つまり当事者だ。そして、今回見つけ出されたボーナムの肉声も。3人はそれぞれ別々に収録していたが、ラストはボーナムが3人についてどう思っていたかを話す音声だった。3人とも黙って耳を傾けていて、少し微笑んでいるように見えた。

ヒストリーとしては、1970年1月のロイヤル・アルバート・ホール公演までとなっている。この後約10年間バンドは快進撃を続けるので、本作の続編が制作されることを願っている。

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