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ザ・ビーチ・ボーイズ・ディスク・ガイド 復刻版

ザ・ビーチ・ボーイズ・ディスク・ガイド

ビーチ・ボーイズがデビュー50周年を迎えた2012年に、萩原健太によるビーチ・ボーイズのディスクガイドが出版された。そして今年、6月のブライアン・ウィルソンの死を契機に、復刻された。

冒頭が、インタビュー2本。まずは山下達郎で、山下は萩原より2歳年上とのこと。山下は、少年期のビーチ・ボーイズとの出会いから、音楽の作り手視点での表現技法について、幅広く語っていた。70年代半ばには「オールナイトニッポン」のDJをする中でビーチ・ボーイズを紹介しまくっていたそうだ。

『Pet Sounds』から『Smile』にかけての幻想が肥大しすぎているという山下の指摘は、なるほどと思った。リリース当時、『Pet Sounds』は絶賛されなかったし、『Smile』は存在すらわからなかったそうだ。しかし、後追いの身としては、仕方がないとも思う。サーフィンやクルマをテーマにした60年代前半のヒット曲群は、積極的に洋楽を聴いていなくても入ってきたので、こちらもおろそかにはしていない認識だ。

続くインタビューは、アル・ジャーディン。2012年にブライアン・ウィルソンが復帰し、ビーチ・ボーイズとしてツアーをするというタイミングのときだ。この人自身のソロアルバムの話題からスタートし、アルバム『That’s Why God Made The Radio』レコーディング、そして結成から現在に至るまでをざっくりと語ってくれた。後半の、この人にとってセンシティブと思われる問いには、ノーコメントを繰り返していた。

この後が、怒涛のディスコグラフィーになる。60年代、70年代、80〜90年代、2000年代以降と、大きく4つの時代に区切っている。各アルバムには、当時のバンドの状況、レコーディングの様子、曲に関するデータ、チャートアクション、そして萩原個人の所感や体験などが集約されている。

作品の多くは、現在CDとして入手困難もしくは未CD化のようだ。個人的には、60年代のアルバムはひと通り聴いたことがあるが、70年代以降となると歯抜け状態なので、興味深く読ませてもらった。

サードアルバムでブライアン・ウィルソンがプロデュース権を獲得したことは、プロデューサーを擁さずアーティスト側がプロデュースする先駆者だと指摘。ヴァン・ダイク・パークスは、『Smile』だけでなく、その後も求めに応じて断続的に制作に関与。カヴァー曲が、初期だけでなく70年代以降でも結構見受けられる。いろいろ発見がある。

ビーチ・ボーイズの作品だけでなく、メンバーのソロやプロジェクトによるアルバムも時系列順に紹介されている。なので、ビーチ・ボーイズの活動と並行して、カールやデニス、ブルース・ジョンストン、前述のアル・ジャーディン、そしてマイク・ラヴのソロ活動がわかる。ブライアンは言わずもがなだ。

驚いたのは、ウィルソン兄弟の父マーリーもアルバムを出していたことだ。初期のバンドマネージャーだったが、制作面にまで介入しすぎたために解雇され、いわゆる「毒親」のイメージがある。増してや、音楽活動などしていなかったはずなのに、だ。

ブライアンの最初の妻マリリンは、姉と共にグループで活動しアルバムをリリースしていた。制作には、もちろんブライアンが関わっていた。ブライアンの娘たちによるデュオのザ・ウィルソンズのところでは、トリオのウィルソン・フィリップスについても言及している。

このディスクガイド、かなり徹底してはいるが、完璧ではない。発売された2012年以降の作品がないのは仕方がないとして、映像作品の取り扱いがほんの一部しかないのが残念だ。

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