レコード・コレクターズ、ブライアン・ウィルソン特集号
さる6月11日に82歳で亡くなった、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソン。各音楽雑誌で追悼記事が掲載されたが、データベース色が強い『レコード・コレクターズ』では、追悼記事を含む何度目かの特集が組まれていた。
萩原健太や小倉エージなど、いかにもという顔ぶれがブライアンの死を惜しみ、そして自分との接点を紹介。ブライアンのソロとしての初来日は99年7月だが、萩原はそれに先駆けて5月に自宅を訪れインタビューしていた。そして7月の来日が待てず、ニューヨークに飛んでライヴを観たそうだ。
小倉は、1966年にビーチ・ボーイズが初来日公演を行ったのを観て、ステージにブライアンがいないのに気づいたことを語っていた。この頃からブライアンはツアーを離脱しレコーディングに専念しているのは、歴史としては知っているが、その場にいた人の証言には生々しさがある。1979年のイベントでの来日時は、移動中のバスの中でカールにインタビューし、そのときブライアンも居合わせていたそうだ。
バイオグラフィーでは、父との確執やふたりの弟の死、精神疾患期のことなど、この人の波乱に満ちた人生が語られている。ブライアンがビートルズの『Rubber Soul』に衝撃を受けて『Pet Sounds』を作ったのは定説だが、それをポール・マッカートニーとジョン・レノンがロンドンの試聴会で無言で試聴して帰っていったというエピソードには、なんだか嬉しくなった(そしてビートルズは『Revolver』を制作する)。
定番のディスコグラフィーは、ビーチ・ボーイズのアルバムからはじまり、そしてブライアンのソロへと続く。90年代半ば以降のリリースが、サントラや企画盤も含んでいるとはいえ、改めて見るとかなり充実している。決して短くはなかった暗黒期を脱したことや、ワンダーミンツなど有能なアーティストのサポートを得たことなどが、意欲を掻き立てたのだろうか。
ブライアンの盟友ヴァン・ダイク・パークスからのメッセージも、寄せられている。何度か取材する中、だいたいすぐにメールを返信してくれる人とのことだが、さすがにこのときばかりは時間がかかったそうだ。その内容は、『Smile』の頓挫と、それから約30年を経て共作した『Orange Crate Art』の話題になっていた。
人は死んでも、音楽は残る。ビーチ・ボーイズやブライアン・ウィルソンが手がけた音楽は、永遠に聴かれ続けると信じる。
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