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ブライアン・イーノのドキュメンタリー映画『Eno』を観た

ブライアン・イーノのドキュメンタリー映画『Eno』

東京大阪名古屋で、一週間限定公開の『Eno』。東京はすべて完売していて、イーノのファンそんなにいたの?と驚き。ワタシは、最終日18時の回のチケットを取って観に行ってきた。

現在のイーノが監督のインタビューに応えるのを軸としつつ、音楽キャリアをほぼ時間軸に沿って辿っていく。そこそこキャリアを確立しても、母親からはいつまともな職に就くのかと言われたとのこと。父も祖父も郵便配達員(局員だったかも)で、そうなることを期待されていたそうだ。

ロキシー・ミュージックには誘われて加入したが、その時点で録音技術には明るかったようだ。ただ、この人にとってはツアーはストレスで、それが脱退の要因のひとつとも言っていた。シンセサイザーは当時は珍しく、操作方法を誰も知らなかった。なので、自分で好きなようにやることができたとも。この時期のイーノは、メイクを施し色気が溢れている。

ソロアーティストとして、プロデューサーとして、と、この人の活動の幅は広い。デヴィッド・ボウイ『Low』『Heroes』制作時の、フォトや映像は貴重。『Sound And Vision』のレコーディング風景は、はじめて観た。1994年のブリット・アワードで最優秀プロデューサー賞を受賞したが、プレゼンターがブライアン・フェリーだったのには少しじぃんとした。

ニューヨークのワシントン・スクエアで路上演奏するララージに声をかけてレコーディングしたこと、ワーナーにリリース時期を延期させられたことで『My Squelchy Life』のリリースを中止したこと、フェラ・クティを観て衝撃を受け、トーキング・ヘッズに持ち込んだことなど、貴重なエピソードが次々に本人の口から語られる。

この映画、全く同じ映像ではなく、観るたびに変化するそうだ。おそらくは基本のフォーマットがあり、入れ替わるパートが膨大にあるのだろう。ボウイのエピソードが観られてよかったが、もしかするとボウイがらみだけで複数パターンあったのかもしれないし、『No New York』やコールドプレイのパートもあったのかもしれない。

映像は淡々と進行したが、1回だけ場内からくすっと笑いが漏れたことがあった。ウインドウズ95の起動音制作のオファーを受けたときで、マイクロソフトからの依頼文には形容詞が延々と続いた挙げ句、3秒半で、だと(笑)。それが、あのシンプルにして印象的なフレーズを生んだのだ。

イーノは現在77歳だが、この映画を観る限り、創作意欲は衰えるどころかいまだに旺盛だ。その目には宇宙から庭先の虫や草木まで、幅広く映っているようだ。とりあえずは、今年リリースした2枚のアルバムを入手しなくては。

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