Beastie Boys / Sean Lennon 99.2.6:横浜アリーナ

欧米では豪華ステージ、豪華セットでありながら、それが日本公演となるとセットが縮小されてしまうというのは、実は結構あることである。94年のピーター・ガブリエル然り。そして、昨年のメタリカもまたそうだった。輸送の関係なのか、はたまた収容する会場の関係なのか。・・・なので、私はこの日もうすうすそんな予感がしていた。そして、その予感は当たってしまったのだ。アリーナど真ん中にあるはずの円形ステージは影も形もなく、まるでそれが当たり前のように、ステージは北側に設置されていた。嗚呼。


 そして、開演時間ぎりぎりぐらいに横浜アリーナの自席に着席する。私はこの日もスタンド席。今回は、アリーナはオールスタンディングで、前日のKorn同様ブロック分けが施されている。どうやら前から1.2.~ときて7ブロックまであったらしい。私の位置は5ブロックの横辺りで、最前列ではあったので、ステージはよく見えた。遠かったけど。既に1月にミッシェル・ガン・エレファントでアリーナのオールスタンディングは実行済みなので、たいした混乱も起こることはないだろう。





 ほぼ定刻の午後5時に、ショーン・レノンと彼のバンドが登場する。今回のビースティーズの来日公演、各地でオープニングアクトが起用されている。名古屋では脱線3、大阪ではOOIOO、そして横浜2日目はスチャダラパー。しかし、個人的にはどう考えてもショーン君がベストだ。同じグランドロイヤルレーベルだから、というつながりからの起用なのだろうが、とにかく嬉しい。昨年発表されたアルバム『Into The Sun』からの曲を、アルバムよりかなりハード目に演奏する。


 私は1人である感慨にふけっていた。もう7年も前になる91年12月1日、エリック・クラプトンを従えたジョージ・ハリスンが、なんと15年ぶりとなるツアーのスタートに、ここ横浜アリーナを選んだのだった。そして、その場に私もいた。何曲目だったか、どの曲だったかも忘れてしまったが、ジョージが、「次の曲はジョン・レノンに捧げる」と言って歌った曲があった。「ジョン・レノン」ということばがジョージの口から出たということだけで、日本の能天気な観客たちは湧きあがっていた。私といえば、そのときは、単にリップサービスだろう、務めて日本の客にフレンドリーにしているだけなのだろう、と、ひたすら懐疑的な見方しかできなかった。その当時では無理もないのだが。


 1990年には、ジョン・レノン生誕50年記念と題して、さまざまなイベントがあった(来年は生誕60年記念をやるのだろうか)。海外で、そして国内でも、ミュージシャンが多数集ってジョンゆかりの曲を歌った。はっきり言って不愉快だった。なぜ、彼をそっとしておいてあげられないのか。なぜ、彼を、そして彼の成し遂げてきたことを墓荒らしのようにほじくり返したりするのか。結局、自分のエゴじゃないか。結局、カネのためなんじゃないか。そんなことのために、ジョン・レノンを利用しないでくれ。そんなことのために、ジョン・レノンを振りかざさないでくれ、そんな想いでいっぱいだった。そして、そのイベントの中には夫人のオノ・ヨーコ、そして、ショーン・レノンもいたのだ。


 もちろん当時はミュージシャンとして身を立てることを決意していたわけでもなく、そのようなレッスンもしていたわけでなないだろう。彼の歌う『Dear Pludence』は、単に"ジョン・レノンの遺児"という肩書きを背負った少年が歌を歌っていたにすぎなかった。はっきり言って、下手だった。それを見るのも、聴くのも、不愉快だった。そして、ショーン・レノンの人生というのは、一生"ジョンの遺児"で終わるものだと、私は思っていた。しかし、実は彼こそが、彼自身こそが、イベントに担ぎ出されて、踊らされて、不愉快であったのかもしれない。反発したかったのかもしれない。逃げ出したかったのかもしれない。


 そして彼は、あえて父と同じ職を選ぶことで、自らに課せられた十字架を背負う決意をしたのだった。しかも、少しの気負いもなく、あくまで自然体に、だ。アルバム『Into The Sun』が発表されたときの衝撃といったらなかった。ウォールフラワーズの『Bringing Down The Horse』が発表されたときにも酷似した衝撃だ。"ジョンの遺児"でしかなかったはずの少年が、自らの力で、自らの技術で、世界に通用する音を作り上げて見せたのである。


 昨年発表の『John Lennon Anthology』にも衝撃があった。幼いショーンが『With A Little Help ~ 』や『LSD』を無邪気に歌うさまが、記録されていたのだ。たとえ無意識にせよ、彼は、自分の運命を、既にこのとき方向付けできていたのではないか。



・・・と、そんな想いが頭の中をかけめぐった。


 がしかし、観客の反応は冷淡だった。ほとんど皆直立不動のままでぽかんと聴き(結構ハードだったので、アリーナでモッシュが発生しても不思議ではなかったのと思うのだが)、曲が終わるとぱらぱらと拍手が起こるのみ。1曲だけヒップホップ調の曲を演奏し、約30分ぐらいでショーンはステージを後にした。個人的には、すっごいよかった。前日にOn Airでライヴをやったそうだ。次回の単独公演、間違いなく見に行くだろう。今の彼にはまだ、アリーナクラスの会場はキツい気がした。しかし、ライヴハウスクラスであれば、充分に堪能できるに違いない。





 休憩となりセットを入れ替えに入る。『Intergalactic』のビデオクリップまんまの格好をした10人組ぐらいの集団もスタンドに見える。なにか、騒然とした雰囲気になってくる。そして午後6時過ぎ、客電が落ちる。なぜか『Superman』のテーマが鳴り響く。


 ステージ中央に無数のモニターが設置され、その最上部にDJブースが設置されている。そして、DJプレイでスタート。スクラッチを効かせ、それだけでもう場内大歓声となる。そして、アルバム『Ill Communication』でもトップを飾っている『Sure Shot』のイントロが響く。3人が登場。ロッキンオンの表紙にもなったのと同じ、赤、というかオレンジのツナギだ。続いて最新アルバム『Hello Nasty』からの『Super Disco Breakin'』へと続く。『money makin',money money makin'』のところはもちろんアリーナ中大合唱となる。もうこれ以上ないスタートではないか。


 前日のKornと同様?、ライヴが始まった途端にスタンド席から柵を飛び越えてアリーナオールスタンディングに突入していったルール破りの兄ちゃんたちがいた。これはちょっとやりすぎだが、しかし、アリーナをきっちりブロック分けしすぎているのもどうかな、と思った。Kornのときもそうだったが、こうしたシステム化、混乱防止や安全確保を考えると仕方ないのか。ちなみに、会場内には黒人アーミーがうろうろしてて、睨みを効かせている。が、それでも完全とはいかないらしいが。こうしてみると、フジロックのブロック分けは、なんか理想に近かったような気がする。チケットはブロック指定にせず、しかし入っている人の数を見て入場を規制していた。





 無数のライトがステージ上を、3人のメンバーを明るく照らす。これだ、そうこれなんだよ。Kornや、先月のマリリン・マンソンでの不満が一気に解消される。アリーナクラスだと、当たり前だがライヴハウスに比べてステージと客席との距離感をどうしても感じてしまう。なので、ステージの様子がだいたいはわかっても、よっく見てないとはっきりわからないことも少なくない。95年のストーンズはいちおう客電が落ちてはいたが、ステージからの明るい光でドーム中が明るいままに演奏は進んだし、96年の元プリンスの公演では、ショウの途中で出し抜けに客電をつけてしまう、という荒ワザもあった。どちらも、パフォーマーとしての自信の表れなのだろう。そしてこの日のビースティーズ、四方八方に飛び交う無数のライト、積み上げられたモニター、そして赤のツナギの3人。視覚に訴える。


 もちろん視覚的に見せるばかりではない。アダム・ヤウクがbを、アドロックがgを手にし、サポートのメンバーが、3人と同じ赤のツナギ姿でぞろぞろ出てきて勢揃い。DJ(マニー・マークだったのか?)も加わってバンド演奏が始まる。dsの重いビートが足元から伝わってくる。gがハードに、ノイジーに響く。もちろんDJプレイもからみあっている。単なるヒップホップオンリーではない、この変幻自在さがたまらない。


 『Remote Control』『Unite』『Song For The Man』など、23曲てんこもりの、CD収録の限界に挑戦している新作『Hello Nasty』からのナンバーが中心に続く。観客のリアクションもいい。もちろん私もだ。古くからのファンには異論があるのかもしれないが、まさに最新作にして傑作であり、98年の代表作の1枚である。彼らが現在進行形であり続けることの証である。短い曲を、立て続けに、これでもかといわんばかりにたたみかけるのだ(ぜんぶで何曲演ったんだろうね)。





 小僧、悪ガキというイメージが強い彼らなのだが、こうしてみると貫録たっぷりである。



そう、彼らはカッコよかった。



あまりにシンプルで、



あまりに単純な表現なのだが、



カッコよかったのだ。



それはなぜなのか考えてみる。



 ロックの音楽性というのはそれ70'sまでにほとんど出尽くしてしまい、また世代交代などもあって、80'sから90'sにかけてのロックというのは、どこかツギハギだった。どこかで模倣している。どこかでコピーしている。別に模倣が悪いとは言わないが、オリジナリティーが感じられないのだ。「○○のような~」「××テイストを含んだ~」という陳腐すぎる表現の中に納まってしまう。





しかし、彼らはスペシャルだ。



彼ら以前に、彼らのような連中はいなかった。



単に白人がラップやってみました、では終わらない、



深いメッセージがあった。



醒めた視点があった。



鋭い洞察があった。



レーベルの設立、



チベタンの主催、



他のミュージシャンたちを惹きつける吸引力、



 それらは決して偶発的に生まれたものではなく、起こるべくして起こった、もたらされるべくしてもたらされた、必然の結果であろう。彼ら以後、彼らの亜流は多数存在した。しかし、もちろんそんな輩は彼らにとっては相手にする必要のない、問題外の連中なのである。


 がしかし、全く不満がないわけでもなかった。3人が思ったほど動かないのだ。円形ステージでない代わりに、ステージの両端には花道が作られている。当然左右の端まで突っ走ってはサイドの客とのコミュニケーションも取るものであろう、と開演前から睨んでいた私にしてみれば「なんで?」なのだ。ただただステージ中央周辺をふらふらと動きながら歌うのみである。前の方にすら出て来ない。う~む。そんなことが関係しているのかいないのか、アップテンポの曲では客もノリノリなのだが、それ以外の曲はリアクションも鈍かったりする。やたら曲数が多いことが、少しばかり弊害になっているような気もしないでもない。ところどころ、なんか間延びしているように感じてしまうのだ。まあ、私たち日本のオーディエンスが、そういった楽しみ方がよくわからないのかもしれないけど。でも、しつこいようだけど、円形ステージであれば、こんな間延びするようなことはなかったのだ。バンド側も了承してのことなのかもしれないが、返すがえすも残念だった。アリーナも、7ブロックともなるとあまり踊ってないなかったし。


 こうした、うだうだしたことを私が思っているのにもちろんバンド側が構うはずはなく、ショウも後半にさしかかり、『Body Movin'』で場内はもう何度目かわからなくなるくらいに弾けまくる。『Three MC's and One DJ』で、またも鮮やかなDJスクラッチが炸裂する。私自身、以前はDJやDJプレイなんて何がカッコいいのか、という感覚しか持てなかったのだが、昨年のファットボーイ・スリムのオールナイトのライヴや友人のDJを見に行ったり、後は先月のCLUB SNOOZERなんかにも足を運んだりしていて、徐々にこうしたプレイも受け入れられるようになりつつある。先だってのローリン・ヒルにもDJが2人いたし。これからのバンドのあり方として、DJは必須、もしくなんらかの形で関わることが増えるのかもしれない。・・・って、今更気付く私がおろかなのか・・・(笑)。





 本編ラストは『So What'cha Want』で締めくくる。んもう、騒ぐ騒ぐ。客が。アンコールを求める拍手、そして床を踏み鳴らす音が地鳴りになって場内に響き渡っている。異様な光景。異様な雰囲気。私はステージから結構後方の席だったので、前の方を一様に見渡すことができる。


 そして、数分と経たずに再登場するメンバーたち。もちろん曲は、あの「intergagalactic~intergagalactic~」ときて、『Intergagalactic』だ(当たり前だ)!ビデオクリップと同様のポーズを決める3人。歓声が絶叫に変貌する。もう、なんかわけがわからなくなって、血管切れてしまいそう(笑)。ズシンと重いビートが響く。実は、何度もビデオクリップを見ているのだが、あのチープな街のセットにロボット、新宿で撮影された風景、正直あまり馴染めなかった(チープな作りは当人たちの狙いだろうが)。しかし、しかし、今こうして目の当たりにして見て、聴いてみると、なんとも断定的で、それがなんとも素晴らしく、カッコいい。自分を主張できること。自分の想いを、考えを、素直に表現できること、それが結実して"自分らしくあること"、に繋がると思っている。これは簡単そうでいて、実はとっても難しい。私たちは、常に周囲の何かに影響されている。揺れている。ぐらついている。だからこそ、こうして数多くの音楽を聴いているのかもしれない。


 英語なので、何を言っているのか正確にはわからなかったが、そうやら「次の曲がラストソングになるんだ。サヨウナラ」と、こんな感じだったと思う。場内から大ブーイング。私の席の通路隔てて隣の女性3人組も「え~っ。ヤダ~」と絶叫している。





 そして、そのラストナンバーは『Sabotage』だった。



ブーイングが絶叫に変わる。



激しいビート。



激しい絶叫。



怒号のような唸り。



最後の刹那的瞬間。



最後の喜び。



最後の燃焼。



最後の、叫び・・・









 私にとって、ビースティーズは今まで少しやっかいな存在だった。大物でありながら、ずっと音を聴いたことがなく、当然ながらライヴも見たことがない。ディスコグラフィー本でやたら紹介されている『Licence To Ill』を買って聴いてみたが、「なんじゃこりゃ?これってスチャダラとどう違うんだ(もっともスチャの方が影響受けているのだろうが)?この音がカッコいいのか?何考えてるんだ?」というのがそのときの感想で、久々に買って損したと思ったアルバムだった。それ以後の音を聴くはずもなく、ずっと遠ざかってしまっていた。



 この日、終演後に急いでグッズを買いに走った。既に売り切れているTシャツが何点かあった。ハット2つ、それとリバーシブルのタンクトップを購入する。凄い人だかりになっている。チケットがソールドアウトになっていないのがほんと不思議だ。一長一短、よかったところ、不満だったところ、いろいろごった煮のようなライヴだったが、とにかく彼らはカッコよかった。今年は、東京を含めて世界4都市でチベタンが同時開催されるという。恐らくビースティーズは本国にてライヴを行うのだろうが、その想いは、海を越えて東京まで伝わるのではないか。東京で、それを受けとめることのできるミュージシャンが多数集うことを願うばかりである。




(99.2.14.)


































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