アイ・アム・サム(2001年)
知的障害で知能が7歳程度のサムは、ホームレスの女との間に生まれた娘ルーシーを懸命に育てる。ルーシーは7歳になり、父親が少し変わっていることに彼女も気づく。またソーシャルワーカーはサムの養育能力を問い、裁判の末ルーシーは里親に育てられることに。しかしサムは諦めず、ルーシーもサムの元に戻ることを望む。
母親もおらず、知的障害をもつ中年男の養育能力が問われるのは、冷たいようだが当然のこと。裁判は別にサムをいじめているわけでもないし、この先ふりかかってくるであろうさまざまな現実の困難に対し、父親としての対応ができるのかを問合せているに過ぎない。ショーン・ペン演じるサムにストレートに肩入れして観ることは、ワタシにはできなかった。
がしかし、それでもこの作品は感動的だ。なぜなら、2人の女優の名演があったからである。
まずはダコタ・ファニング。当時7歳で、ほぼ同年齢のルーシーを演じている。里親の近所にサムが引っ越してくると、毎晩のように部屋を抜け出してはサムのもとに行こうとする。父親の知能レベルに並んでしまったことを自覚しつつ、それでも父親を求める姿は健気でたまらない。ダコタは、その後『宇宙戦争』でトム・クルーズの娘を演じている。
もうひとりは、サムを弁護するリタを演じる、ミシェル・ファイファー。ただ敏腕なだけでなく、社会奉仕もできることを証明するためサムの弁護を引き受けるが、ぶっちゃけ当初はそれほど乗り気ではなかった。しかし、仕事に打ち込みすぎるあまりか、夫には浮気され、息子は自分になつかない。自分は母親失格なのではという心情をサムに吐露し、やがてひたむきなサムの姿に自分が救われていることに気づく。
もうひとつ、この作品でキーになっていることがあって、それはビートルズだ。サムは部屋にジョン・レノンのポスターを貼り、裁判でもビートルズのエピソードを引用して抗弁。娘ルーシーの名前は『Lucy In The Sky With Diamonds』からの引用だ。また、リタも『Lovely Rita』に引っ掛けたものだろう。
劇中に流れるはビートルズナンバーだが、歌っているのはビートルズではなく、ブラック・クロウズ、ベン・ハーパー、エディ・ヴェダー、シェリル・クロウら現役のロックアーティストたちである。ビートルズの曲をそのまま使うと権利関係で莫大な費用が生じるため、カヴァーという選択になったらしいが、これが非常に出来がよく、作品を後押ししている。
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