The Arcade Fire 2008.2.11:Studio Coast

スタジオコーストはフロアへの入り口は前方と後方の2箇所あるのだが、なぜか前方は封鎖されていて、後方のみから入るようになっていた。そしてフロア内も、中央部PAの向かって右の階段のところが立入不可になっていた。開場してしばらくの間は客入りもまばらだったので、こりゃもしかしてチケットの売れ行きが芳しくなくてこういう仕切りにしているのかなと思ったのだが、開演間近になると場内はほぼいっぱいになり、結局前の入り口も階段も開放して人を入れていた。何のための封鎖だったんだ?





さて気を取り直して、予定より15分ほど遅れて客電が落ち、場内が湧く。バックドロップに小さな映像が5つ横並びになって少しの間流れ、それが済んだくらいの頃にメンバーが向かって左の袖から姿を見せた。ライヴは、『Black Mirror』でスタートした。


バンドが大所帯という認識はあったのだが、ステージに並び立っているのは総勢10名のプレーヤーたちだった。前方中央にフロントマンのウィン・バトラーがいて、その向かって右には女性陣3人が揃い踏み。レジーヌは変形アコーディオン(ハーディ・ガーディだったか?)を弾いている。後の2人はバイオリンだ。ウィンの向かって左にはベースと、キーボードのリチャードがいて、この6人でフロントラインを形成。後方はひな壇のようになっていて、向かって右にはサックスやトランペットなどを操る管楽器隊が2人、中央にはドラム、そして左にはプログラミングを担うウィルの弟ウィリアムがいた。


序盤こそ、PAが安定せずウィンのヴォーカルが聴き取りにくかったりもしたのだが、それもすぐに持ち直した。そして、『Neighborhood #2(Laika)』で早くもクライマックスが訪れる。ひな壇にいたはずのウィリアムがいつのまにか前方に躍り出ていて、リチャードと共にドラムスティックを持っている。そしてこの2人、メロディーに合わせてビートを刻むのだが、それが用意しているタイコのみならず、床だったり機材の側面だったりと、むちゃくちゃやっている(笑)。ウィンのヴォーカルもトーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンがかっていて、それがサビのコーラスに差し掛かったときに思わず全身に震えがきた。





バックドロップの映像は、ライヴが始まってからは演奏しているメンバーの表情を下からのアングルで捉えていた。そして中盤に差し掛かると、いよいよこのバンドの本領が発揮される。ウィンはギターだけでなくマンドリンも弾き、途中『Haiti』等2曲ほどでレジーヌにリードヴォーカルを譲った。そのレジーヌ、いったんはフロントを務めたかと思えば、今度はなんとドラムまでこなしていた。ではそのときドラマーはというとキーボードを弾いていて、キーボードだったリチャードはギターを弾いている。管楽器隊もフルートやクラリネットをこなし、ひとりは鉄琴も担当していた。


個人的には、ここ数年の好みがポストロック~エレクトロニカの方に寄っているという自覚がある。これらのバンドの傾向は、編成が大所帯であり、演奏能力が異様なまでに高く、時に曲の概念を超越した世界観を構築してしまうようなライヴをやってしまうことにある。たとえばMum。たとえばシガー・ロス。たとえばマイス・パレード。たとえばモグワイ。たとえば、3月に来日が決まっているブロークン・ソーシャル・シーン。またジャンルは少し異なるが、マーズ・ヴォルタやバトルス、アイシスなどにも私は同じものを感じていて、これが私にとっての2000年代の音になっている。


アーケイド・ファイアもこうしたカテゴリに位置づけていいとは思うのだが、スタイル的にはそうであっても、上記のバンドとは決定的に異なる点がある。それは、批評性を前面に出していることだ。ウィンはアメリカ人でありながら今のアメリカの在り方に疑問を抱き、こんな国には住みたくないと行ってカナダに移り、そしてバンドを結成したと聞いている。世の中は間違っている、このままじゃダメなんだという警鐘を鳴らしている。それが歌にも演奏にもにじみ出ていて、英語圏ではないこの国であっても、その姿勢が聴く者に伝わっているように思えるのだ。だから、U2やブルース・スプリングスティーンといった大御所までもが、彼らを支持しているのだと思う。





中盤は、若干ク−ルシフトダウンしたように思われた(とは言っても、『Neon Bible』や『Black Wave/Bad Vibrations』など、聴きごたえ満載の曲が放たれていたのだが)。ピクシーズの『Wave Of Mupilation』のカヴァーもあった。この曲は去年ベックも来日公演時にカヴァーしていて、嬉しくなったのと、ピクシーズのフォロワーの多さと幅広さに感嘆した。そして後半のギアチェンジは、『Neighborhood #1(Tunnels)』で起こった。ポストパンクっぽいリフが印象的な『The Well And The Lighthouse』も繰り出され、メンバー全員が一体となり、クライマックスに向けて加速するような感触があった。


すると場内が暗転し、バックドロップのスクリーンに映像が流れた。作った映像なのかそれとも実際に流れた映像を引用したのかはわからなかったが、政治家らしき人の演説を流していて、だけどこれを流すことには明らかにアイロニーがこもっていた。そして、映像が終わったとほぼ同時に、『Neighborhood #3(Power Out)』のリフが響いた。あまりにも劇的な展開に、あまりにも圧倒的な彼らの姿勢に、すっかりやられてしまった。


私は2階席のほぼ中央部に座って観ていた。演奏中、ウィンが明らかに2階の方を見て、立ってくれという仕草をした。私はこれに応えないわけにはいかないと思い立ち上がり、以降最後まで立ったままライヴに臨んだ。そしてステージ上も、なんだかとんでもないことになっていた。ウィリアムがギターを弾きながらステージ上を何度も往復していた。みんな前を向いて演奏しているのに、この人だけ左右に走りっぱなしだったのだ。なんだこのパフォーマンス(笑)。ひな壇向かって右の管楽器隊も、お互いに上着で殴り合うパフォーマンスをしていて、これにも笑った。


ひな壇の下部はライトにもなっていて、これがカラフルに閃光した。場内がいよいよ尋常ではない雰囲気になっていく中、本編ラストとなったのは『Rebellion(Lies)』だった。アルバムのバージョンはとてもシンプルなのに、ここではスケール感と解放感に満ち溢れていて、そして最後は「Uhhhh~Uhhhhhhh~」をバンドがコーラスするのに呼応するように、オーディエンスもコーラスした。バンドが演奏を終えてステージを去った後でも、このコーラスは止まなかった。





オーディエンスがアンコールを求めるのは、拍手かあるいは日本のアーティストであれば「アンコール♪」と連呼するのが通例と思われるが、この日はそのどちらでもなく、「Uhhhh~Uhhhhhhh~」のコーラスがずっと続いていた。バンドが発したエネルギーをオーディエンスががっちりと受け止め、そして今度はバンドに返そうとする想いが自然にこうなったのだと思う。やがてバンドが再登場したが、まだコーラスが続いていて、バンドもそれに乗っかるように『Rebellion(Lies)』のフレーズを少しだけ演奏してくれた。


アンコールは『Intervention』で始まり、そしてオーラスとなったのが現時点でのバンド最大のアンセムである『Wake Up』だった。U2が自身のVertigo TourのオープニングSEとしても使っていた曲で、次代を担うべきアーティストとして彼らを認めたことの現れだと思う。そして彼らは、偉大なる先人の期待にも、オーディエンスの期待にも、それを上回るパフォーマンスを以て応え続けてくれたのだ。この日の公演は日本最終公演であり、またバンドにとってのワールドツアーの最終公演でもあり、それがついに幕を閉じた。





今最も聴かなければならない音を鳴らすバンド。私は彼らのことをそう認識していた。がしかし、私は彼らのライヴバンドとしての力量を正直なところ疑っていた。彼らのライヴは2005年のサマーソニックで観てはいたが、あのときは半分だけで切り上げて、その後インターポールを観に行っていた。つまり彼らの真の姿を正しく把握するまでには至っていなかったのだ。がしかし、私の疑問は晴れ、それどころか更なる大きな期待を彼らに対して抱くようになった。もし次にリリースされるアルバムが傑作の領域に達するレベルであれば、このバンドは2000年代を代表する決定的な存在になる、と。




(2008.2.16.)
















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