Fuji Rock Festival'02 Day 1-Vol.4 Television/Muse







テレヴィジョンがフジロックに出演すると発表になったとき、私は狂喜した。しかし、出演ステージがレッド・マーキーと聞いたときは、正直言って落胆した。しかもトリは新人バンドで、出番はその前だと。彼らなら、ホワイトステージのトリでも充分だと思うのに。ただ、その後少し考えて、"あの曲"を演るにはマーキーこそがふさわしいのではと、思うようになった。半分シャレもあるだろうし(笑)。





外がまだ薄明るい夕暮れ時に、メンバーは姿を見せた。世代的にニューヨーク・パンクをリアルタイムで体験することなどできず、80'sのトム・ヴァーレインのソロも92年のテレヴィジョンも観ていない私にとって、今回がついに念願の瞬間となる。頭にこびりついている彼らのヴィジュアル・イメージは、ファーストアルバム『Marquee Moon』のジャケットの鬼気迫る表情だ。もちろんそれから20年以上も時が経っているので、今の彼らの風貌は様変わりしている。トムは髪が短めで、その表情はさすがに年を感じさせる。リチャード・ロイドは、まるで別人のように小太りになっていた。私はステージ向かって左側の前の方に詰めていたので、この2人以外はその姿を確認できなかった。


まずは小手調べとばかりに、トムがギターを弾く。延々と続くインストで、しかもとてもギターから発せられているとは思えない、シンセサイザーの電子音ような音。ロバート・フリップを彷彿とさせる。そのまま『1880 Or So』の耽美的なイントロへとつなぎ、少しほっとする。ずっとこのままなのかと思った(苦笑)。トムの少し裏返った声、ややぶっきらぼうな歌い回し。これらは、CDで聴いてきたのとほとんど同じだ。そして、ビリー・フィッカのパワフルなドラムがギターと絡み合うイントロの『Venus』で、場内の温度は一気に上昇する。この独特の空気、そして硬質の肌触り。冷静でいろと言う方がムチャだ。





名盤を輩出し、既に実績を築き上げているバンドのライヴを初めて観るとき、過剰すぎる期待と共に、一抹の不安も抱いてしまう。CDに収められた音は永遠に衰えることはないが、年齢を重ねる当の本人たちは、そのときには苦もなく成しえた高いテンションをよみがえらせることができず、曲そのものが持つ魔力に依存してしまう場合があるからだ。それはすなわちノスタルジーであり、「観れた」「聴けた」こと自体には感動できても、現在の彼らが時の流れに飲み込まれてしまったんだなという、空しさも覚えてしまう。増してや決して短くない活動停止期間があるバンドなら、なおさらのことだ。


しかしテレヴィジョンは、そうではなかった。終始緊張感を維持し、精度の高い演奏を続けている。かつては若さと勢いで乗り切ったであろうところを、今の彼らは緻密さと丁寧さで表現しているように見えるのだ。そうして放たれる、名曲の数々。私は、トム・ヴァーレインをとても神経質できめ細かく、妥協を許さない完全主義の人なのではと想像していたのだが、ライヴにもそうしたたたずまいがにじみ出ている。


そしてもうひとつ、驚きだったのがオーディエンスのテンションの高さだ。だいたい前の方でライヴを観ていると、眼前のステージの様子はよく分かっても、自分より後方のオーディエンスの様子というのはなかなか把握しづらいところがある。わざわざライヴの最中に、後ろを振り返るのもばかばかしいし。なのに今回ばかりは、『Little Johnny Jewel』が始まれば怒号のような歓声が沸き、『Prove It』や『See No Evil』ではサビの大合唱となるのが、前に居ながらでもわかった。わかったというより後押しされる形で、私も一緒になって声を張り上げているような状態だ。





そして、ついにそのときは来た。"あの曲"が響き渡るそのときが。トムのギターがジャジャッジャジャッと唸り、リチャードのギターがそれに絡み、フレッド・スミスの重低音ベースも意外や映えている"あの曲"。言わずと知れた『Marquee Moon』である。テレヴィジョンの看板は、トムとリチャードの2本のギターの絡み合いにこそあるのだが、この曲ほどそれが最大限に発揮されている曲はない(ヘッドフォンでこの曲を聴くとよくわかるのだが、右からはリチャードのリフ、左からはトムのリフが聴こえてくる)。


極論になるかもしれないが、『Marquee Moon』を世に生み出しただけでも、テレヴィジョンというバンドは永遠に語り継がれる資格がある、と私は信じている。元々が10分オーバーの大作で、前半のヴォーカル入りのパートは5分程度で、その後はめくるめくインプロヴィゼーションの嵐となる。これがライヴとなるとなおさらで、原曲を更に拡大し、別次元へと誘うかのような耽美の世界が延々と続く。恐らくこのインプロヴィゼーションは10分以上にも渡ったと思われ、最後はまたまた電子音のようなトムのギターが炸裂し、歓喜の瞬間の連続となったライヴは幕を閉じた。


後になってわかったことだが、このライヴをステージの袖の方から観ている、ひとりのアーティストがいたそうだ。その人はテレヴィジョンのメンバーとも親交が深く、そしてこの後ヘヴンのトリを飾る、パティ・スミスだった。70'sにニューヨークで同じ時代を生きた彼らは、それから20年以上も経った今、この極東の地のフェスティバルの場において、再び心を通わせることがあったのだろうか。

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いつのまにか陽は落ちていて、グリーンではミューズのライヴが始まっていた。私は第1回のサマーソニックでライヴを観たことがあるのだが、そのときは密閉感のあるライヴハウス向きで、野外はちょっとなあという印象を受けていた。開催前は、グリーンのトリ前というのも、ちょっと荷が重いんじゃないかなと不安だった。


しかしあれからわずか2年の間に、彼らはとてつもないバンドに変貌していた。当時はポストレディオヘッド的ニューカマーという位置づけだったと思うが、今の彼らはたくましく、そして頼もしく見えた。格段に表現力を増し、音や演奏にはヴォリューム感があり、たった3人で演っているのが信じられなかった。一瞬、日中のジーヴァスのライヴを思い出し、UKギターロックの新陳代謝が進んでいることを感じずにいられなかった。




(2002.8.7.)
















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