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ロバート・フリップ―キング・クリムゾンからギター・クラフトまで

ロバート・フリップ―キング・クリムゾンからギター・クラフトまで

宝島社から出版されている、の本を読んだ。著者はエリック・タムという人で、大学で音楽論を講義するほか、自らも音楽活動をしていたことがあるという経歴を持つ。本書のほか、について書いた書籍も翻訳・出版されているようだ。

著者は当初大学の卒論にフリップをテーマに書こうとするも、断念。その後年月を経て、再びフリップに取り組んだとのこと。前半はのバイオグラフィーおよびディスコグラフィーの様相を呈し、1974年のクリムゾン解散と前後するように、フリップ個人にスポットが当たるようになる。

コラボレートを果たしたアーティストたちとどのように出会い、作品を手がけることとなったのかというのが、個人的に興味深かった。クリムゾン解散後の約3年間はフリップは引退状態だったそうで、音楽業界に復帰するかどうかも迷っていたそうだ。そんなフリップに手を差し伸べたのが、クリムゾン活動中から交流のあったブライアン・イーノであり、だ。

『Heroes』のときは、ニューヨークにいるフリップに、ベルリンでボウイとレコーディングしていたイーノが電話をかけてきて、フリップは当初はっきりしない返事をしつつ、結局参加している。ピーター・ガブリエルのときはより音作りに深く関わり、またダリル・ホールのソロアルバムも手がけ、それらが自身の名義のソロアルバム制作へとつながっていく。

80年代クリムゾン結成は、フリップがビル・ブルッフォードとエイドリアン・ブリューに声をかけてまず3人となり、ベーシストのオーディションに来て決まったのがトニー・レヴィンだった。トニーは90年代のダブルトリオ期や2010年代の7人編成/8人編成のメンバーでもあり、今や欠かせない存在だが、その最初がオーディションだったとは。

しかし、80年代クリムゾンについては好意的に書かれてはいない。終始各メンバー間に軋轢があったまま活動が続き、そしてフリップの終結宣言によってあっさり終わったことになっている。3枚のアルバムについても、69年〜74年の作品ほど掘り下げられてはいなかった。著者の好みだろうか。

その後フリップが始めたのが、ギタークラフトだ。参加者は決して安くはない会費を払って生徒となり、合宿形式で寝食を共にし、フリップからギターについての教えを受ける。生徒全員でのレッスンが基本だが、フリップとマンツーマンの授業もあったそうだ。そのときは必ずしもギター弾きに終始せず、論文を書きそれについて議論するということもあったそうだ。

著者は、自ら生徒となってギタークラフトに参加している。なので、ここについての記述はよりリアリティがある。フリップについて取材していることを、本人にも伝えていたそうだ。取材する中で、質問によっては、自分がそれに答えるのは相応しくないという返答がくることもあったそうで、フリップらしいなと思う。

最後は、80年代後半から90年代前半の状況をざっくりと紹介。クリムゾンのボックスセットのリリースや、とのコラボレートなどだ。執筆し刊行した時期のせいもあるが、この書ではギタークラフトがフリップにとっての理想郷のようになっている。実際はこの後クリムゾンの断続的な活動もあるので、フリップの活動歴からすれば前期までを取り扱った格好になっているのが実情だ。

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