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ジョニーは戦場へ行った(小説)

公開日: : Metallica

ジョニーは戦場へ行った(小説)

戦場で傷ついたジョー・ボナムは、目も耳も口も鼻も失い、腐蝕のため医師によって両手両足も切断された。医師たちはジョーを植物状態と見なしたが、ジョーには意識があった。しかしことばを発することもできず、身ぶり手振りで示すことができないため、自分の意思を他者に向けて表示することができない。

ジョーは、戦地に向かう前のことを思い出す。恋人や家族のこと、働いていたときのこと。ジョーには時間の経過もわからず、過去を回想するくらいしか、自らできることがなかった。絶望と闇と孤独しかないと思われていたのが、あるとき、新しい看護婦がジョーの胸元に指で字を書く。「MERRY CHRISTMAS」。それに首を振って答えるジョーを見て、看護婦はジョーに意識があることを確信。ジョーはモールス信号で、自分の意思を伝えるのだが・・・。

ワタシは映画の方を先に観ていて、その後この原作を読んだのだが、ラストが決定的に異なっている。原作では、病院から出たいという意思を伝え、自分の身体は見世物としての価値があり、それで経済面も補えるはずだと考えている。しかし、それが病院および軍に拒否されると、こんな自分でも銃をとれる、戦える、ここから出してくれさえすればまた戦地に行くという、歪んだ生への執着を見せている。

ところが映画では、自分を出してくれ、できないのなら殺してくれという意思表示をする。しかし出ることが叶わないばかりかこのまま生かされることになり、最初にジョーの意思に気づいた看護婦が管を切って彼の願いを叶えようとしたところ、軍の上官が戻ってきて看護婦を止め、ジョーは死ぬこともできず生かされて終わっている。

作者はドルトン・トランボという人で、この本は1939年に刊行された。戦争のたびに発禁となり、戦争が終わると復刊している。1971年公開の映画は、実はこの人が監督したものだ。結末を変えているのは、1939年(第二次対戦)と1971年(ベトナム戦争)という、時代背景の違いも関係しているかもしれない。ワタシは、原作のラストは少し違和感があり、映画の方に説得力を感じる。

メタリカは、この本を読んでインスパイアされ、他者と関わることができない「絶対的な孤独」をテーマとして名曲『One』を書いている。それまでPVを作らなかった彼等は、この曲で初めてPVを作り、高い使用料を払って映画のシーンをPVに組み込んでいる。

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