椎名林檎 2008.11.30:さいたまスーパーアリーナ

29日はグッズを確実に購入することを狙って12時半過ぎに現地到着したが、この日は単純に開演に間に合えばいい。開演は午後4時なので、3時ちょっと前に会場入りした。駅を出たときから人が多く、そしてグッズ売り場は当然のようにごった返していた。29日の私のポジションはアリーナのCブロックで、臨場感はあったが前の人の頭で必ずしもステージがよく見えたわけでもなく(コレはアリーナの宿命だが)、ちとストレスを感じたことも。この日は1階スタンド席で、そして角度的にはほぼ正面。ステージからの距離はあるが、セットもオーケストラも、ほぼ全体が見渡せる。





定刻になった頃にまずオーケストラの人たちが入場し、それぞれ持ち場について音出しをする。そして10分くらい経ったところで客電が落ち、場内からは大きな歓声が。アリーナが総立ちだったのはもちろんだが、1階スタンド席も総立ちになって、まさに臨戦態勢に。そんな中でオーケストラが『ハツコイ娼婦』の演奏を始め、やがてステージ上に椎名林檎の姿が確認できた。やはり、鹿の角のようなかぶりものをしていて、張り巡らされた糸は繭を思わせる。


続くは『シドと白昼夢』で、オーケストラとのコラボということもあり、音はジャジーでアダルトな仕上がり、ヴォーカルはコンパクトで小悪魔っぽい歌い方になっている。『ここでキスして』は林檎自らの歌い出しがイントロになるのだが、バンドだけでなくオーケストラとも合わせるため、歌う前に敢えて大きく息を吸っているように見えた。彼女のパブリックイメージを決定づけた曲『本能』では拡声器を使い、次の『ギャンブル』で第一幕に区切りがつけられた。


メンバーがステージからはけ、ステージ上部のスクリーンに加え、両サイドの白いセットの壁もスクリーンとして稼動。「林檎の筋」と題されていて、林檎のデビューから10年間を、シングルやアルバムのジャケ写、宣材写真などをスライドショーとして流し、ナレーションも入っていた。このとき、オーケストラにより『宗教』がBGMとして演奏されていた。私は幸いにして全てのシングルとアルバムを所有しているが、現在はCDシングルも12センチになっているので、ごく初期の頃の8センチCDは今や貴重なのかもしれない。





さて、第二幕は『ギブス』から。同日に『罪と罰』とシングルとしてリリースされたが、実はライヴでは先攻エクスタシーツアーにて既に演奏されていたことを思い出す。そして、曲の終盤は生演奏から打ち込み音へとシフトしていき、メドレー式に『闇に降る雨』へとなだれ込んでいく。この展開はアルバム『勝訴ストリップ』収録バージョンと全く同じで、この徹底したこだわりが嬉しくてたまらない。更には、隠れた名曲『すべりだい』を経て『浴室』となり、イントロが流れたところで場内がどよめいた。意外に人気の曲なのね。


イントロ音は、林檎の「ダッダッダッダッ・・・」という肉声をサンプリングしていた。また林檎は衣装替えをしていて、頭部もおかっぱのヘアピースになっていた。ステージは回転し、バンドメンバーはバックドロップの側を向いて、つまり客には背を向ける形で演奏をし、そして林檎はキッチンのセットの前に立って歌う。歌うのだが、キッチンにはまな板があり、赤いリンゴがあり、そして林檎は包丁を使ってリンゴを刻むパフォーマンスをする。


林檎のソロ活動時代にバックを務めていたのは、「虐待グリコーゲン」というバンドだった。ギター、ベース、キーボード、ドラムという編成で、私は虐待だけでアルバムをリリースしてほしいと当時思っていたことがあった。メンバーはいずれも腕に覚えのあるセッションミュージシャンで、その性質上バンドとしてパーマネントな存続は望めなかったのだろう。ベースの亀田だけが現在に至るまで林檎をサポートし続け、まるでパティ・スミスを支え続けるレニー・ケイのようだ。今回、ギターは名越由貴夫という人で、林檎のソロ作品への参加歴がある。ドラマーは河村"カースケ"智康という人で、白井貴子のバックバンドのドラマーでもあるらしい。





『ブラックアウト』で林檎とバンドはステージからフェードアウトし、今度は「林檎の芯」という表題のスライドショーが。ナレーションは自称黒猫屋の若旦那で、NHKの時代劇が好きな7歳・・・つまり、林檎の長男である。林檎は埼玉県に生まれたが、生後まもなく生命の危険に見舞われ、手術によって持ち直した。その後父の仕事の都合で静岡に引越し、祖母(つまり林檎の母親)から手に職をつけるようにと教わり、ピアノなどを習い始める。また福岡に引っ越し、自らの内弁慶な性格を克服した、と紹介された。


スライドには、生後すぐの林檎を手術した先生、幼い頃の林檎、兄純平と一緒の林檎、林檎の母など、本邦初公開と思われる写真が次々に繰り出された。また、このときはオーケストラにより『やっつけ仕事』がBGM的に演奏されていた。





バルーンスカートの衣装に替えた林檎は、まず『茎』を熱唱。シングルとアルバムとで言語を歌いわけている曲だが、ここではこれらを混合して歌い上げていた。そして一瞬ステージが暗転し、向かって右に新たな人影が。その人と林檎が同時に歌い出すとステージが明るくなって、兄純平であることがわかった。曲は『この世の限り』で、2人は歌いながらステージ上を歩き始める。林檎は向かって左の花道に、純平は右の花道に行き、2人でオーケストラピットを挟むようにして向かい合って歌っていた。


ここで、林檎は兄純平を自ら紹介。そして、このような曲を書いてみたいと次の曲のナビゲートを自ら行い、マーヴィン・ゲイの『玉葱のハッピーソング』を。ここで2人は楕円形になっている更に花道を歩き、最前の中央部で立ち止まると向かい合って歌い、やがてクロスして林檎が向かって右へ、純平が向かって左へ、それぞれ歩を進めた。私は純平のライヴも一度だけだが観に行ったことがあるのだが、この人の世界観はソウルフルでファンキーで、林檎とは音楽性が必ずしも一致はしていない。そしてこの曲では、むしろ純平の音楽的志向が生きているように思えた。


『夢のあと』を経て『積木遊び』となり、いよいよ終盤だ。4人の女性ダンサーが登場し、両サイドに2人ずつ陣取って林檎と同じように踊る。更に『御祭騒ぎ』となるのだが、まさに曲名通りで阿波踊りの踊り子さんたちが両サイドから登場し、ステージに勢揃い。ライヴというより舞台を観ているような錯覚に陥ったが、それだけ圧倒的だったのだ。そして本編ラストは『カリソメ乙女 Death Jazz Ver.』で、林檎は歌いながら花道をぐるっと回り、ステージの後方に行くとセットの壁が開き、林檎は後ろ向きに落ちて行った。





アンコールは、『正しい街』で口火を切った。事変になってからの林檎は、少なくともライヴの場ではヴォーカルに徹することが多く、自らギターを弾くことは極端に少なくなった。この日の公演も、オーケストラとのコラボということもあってかやはりヴォーカルオンリーがほとんどだったが、この曲と『ここでキスして』だけは自らギターを弾いて歌っていた。続くは拡声器による『幸福論(悦楽編)』で、この2曲ではオーケストラはなく、バンドだけでの演奏だった。


2度目のアンコールにて、林檎は少しだけMCを。今回が、自身にとり過去最大級の会場と観客数でのライヴであることを話し、また礼を述べてもいた。まず『みかんのかわ』という、10秒ちょっとくらいの曲を歌ったが、これは7歳の頃に書いた曲だそうだ。そしてオーラスは新曲で、どうやら『余興』というタイトルらしい。その場で聴いただけでは大きなインパクトを感じることはなかったが、事変の要素もソロ時代の要素も兼ね備えた曲のように思えた。


林檎もメンバーもオーケストラも去った後、スクリーンにエンドロールが流れ、『丸の内サディスティック』がBGMとしてかけられていた。流れる字幕に注目していると、オーケストラには本田雅人の名前もあった。他にも、腕利きのミュージシャンの名がいくつかあったらしい。最後に「自作自演 椎名林檎」という大きな文字が表示されたところで客電がつき、ここで大きな拍手と歓声が沸いた。








兄や息子、また写真とはいえ母親や主治医までも出していることからして、このライヴは自らの活動の総括というより、壮大なスケールによる林檎の「誕生会」だったように思えた。バンドやオーケストラが白衣だったことは病院を思い起こさせたし、最初の衣装の繭を思わせるかぶりものは、自らの誕生を表現したのでは?と想像してみる。今回のライヴは来年3月にDVD化されるとのことで、未公開映像などでいろいろとフォローしてくれるとありがたい。


頭脳警察とPantaではないが、東京事変と椎名林檎との活動がそれぞれ並行して行われるようになると、ファンとしては楽しみが2倍にも3倍にもなって非常にありがたい。なにより、並行した方が彼女自身の音楽性をより拡大も深化もさせうるはずだし。また、以前からともさかりえや広末涼子に曲提供をしてはいたが、今年はTOKIOにも曲を書き、またパフィーに書いた曲が来年リリースされることも明らかになった。彼女の溢れ出る創作意欲は、まだまだ留まるところを知らないようだ。




(2008.12.8.)

















Copyright©Flowers Of Romance, All Rights Reserved.