Live Earth Japan 2007.7.7:京都・東寺

地球温暖化防止を訴えるべく、7月7日に世界8カ国10都市で同時開催されるイベント、ライヴアース。日本では千葉幕張メッセと京都の東寺で行われ、私はラインナップを眺めた上で京都に遠征することに決めた。お寺でのライヴというのがこれまで体験したことがなかったのと、細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一の3人が、実に14年ぶりにYMO名義でステージに立つことがアナウンスされたからだ。





入場

 開場30分前に東寺に着いたのだが、既に大勢の行列ができていてその最後方に行くまでにかなり歩かされ、結構あせる。しかしその後列は順調に進み、お寺の門をくぐるとチケットの整理番号別に整列。予定より少し遅れての開場となった。構内は思ったよりも狭く、フジロックのホワイトステージの3分の1くらい。集客は、恐らく3000から4000人程度と想定される。てっきりスタンディングなものとばかり思っていたが、自由席ながらパイプイスが並べられていて、私はステージ向かって左前方に陣取った。そのステージだが、お寺の本堂をバックにする格好で設営されていた。



Rip Slyme

 時間になると本堂の中から鐘が鳴らされ、その後まずはDJが登場して卓にスタンバイしてプレイを始める。やがて4人のラッパーが現れて歌が始まった。恐らく彼らの単独ライヴであれば、最初からアゲアゲのノリで客とバンドが一体になるのだろうが、ここでは立っている客が散見されはするものの、ほとんどは着席。完全アウェー状態であることをバンド側も悟ったのか、謙虚なMCで語りかけ、ヒット曲『楽園ベイベー』や新曲などを披露し、30分近くパフォーマンスをした。



UA

 UAとギタリストのみという、シンプルな編成。UAはまるでシーツを破って巻いただけのような白いドレスをまとい(でも彼女が着ていると自然になじんでいる)、彼女の母の故郷である奄美大島のことばで作った歌『トゥリ(=「鳥」の意)』を歌った。彼女の作風は徐々に自然と同化する方向に向かっていると感じていて、そのスタンスは東寺という舞台にはぴったりとハマっていた(確か彼女は、東京の池上本門寺でもライヴをしているはず)。この後もう1曲を歌い上げると、笑みを浮かべながらあっさりとステージを去り、あまりの短さに呆気に取られる場内。恐らくは時間的な制約があり、彼女は進行に配慮したのだと想像するが、このUAの潔さに比べ、先のリップ・スライムは謙虚なようでいて実は調子こいていたのが浮き彫りになった。



Bonnie Pink

 いちおうバンド編成ではあるが、ボニーピンク自身は椅子に腰掛けていて、アコースティックスタイルでのライヴ。1曲毎に彼女がMCを入れ、自らが京都出身であることや、このイベントのこと、そして新曲(宣伝かよ/笑)について語った。メンバー紹介もしたのだが、ピアノはニューエスト・モデル/ソウル・フラワー・ユニオンの奥野真哉、ベースはGreat3の高桑圭だった。さて肝心の彼女自身だが、思った以上に声量が大きく、地にしっかりと足のついた女性シンガーという印象を受けた。キャリアは10年を越えているはずだが、それまで地道にやってきたのが去年CMソングで突如ブレイク。彼女はそのことをいい方向に向けることができていると思う。



Michael Nyman

 私は全く存じ上げなかった人だが、映画音楽を数多く手掛ける巨匠ピアニストだそうだ。ステージにはグランドピアノ1台だけが設置され、小太りでメガネをかけたミスター・ナイマンは、ピアノの前に座るとただ黙々と曲を弾き続けた。終盤で、映画「ピアノ・レッスン」の曲を弾いた模様。なお、東寺の境内のすぐ外は一般道になっているのだが、演奏中場内は静かに聴き入っているところを、なんと必要以上にエンジンを吹かしながら爆走していくバイクがあって、その音が境内の中にまで響いてしまった。このときはさすがにミスター・ナイマンも少しやりにくそうだったが、激怒して途中キャンセルすることもなく、最後まで全うしてくれた。



Yellow Magic Orchestra

 それぞれのアーティストのスタイルもあったが、ここまではほとんどの客は着席してライヴを観ていた。各アクトのセットチェンジも、手際よく5分程度で行われていた。がしかし、ここに来てYMOのセットがステージ中央に運び込まれると、場内からはどよめきと歓声が沸き起こり、そして総立ちになった。拍手が自然発生し、この日ここに集まった人たちが何を観に来たのかというのがはっきりとした(もちろん私もそうだが)。


 そして、いよいよ3人が登場。場内からは、改めて割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こる。私個人としては、スケッチ・ショウや細野/坂本のソロライヴは観たことがあるが、3人揃い踏みは初めてである。この3人が横一列にスタンバイしただけで、感慨深いものがあった。オープニングは『以心電信』で、その後は『Resque』へとつながれる。幸宏のソフトで奥深いヴォーカルが、東寺の境内に響き渡った。


 ステージセットだが、各人の機材を覆うように鉄骨のアーチが組み込まれていて、それが3セット横並びになっているような状態。実はこのセットは開演前からずっとステージ向かって右に用意されていた(着席したときから、うすうすそんな気がしていた)。3人とも立ったまま演奏をしていて、坂本はキーボードを、幸宏は電子式の木琴(こんな表現でいいのかな?)、細野はベースを、それぞれ操っていた。細野は珍しくサングラスをかけていて、ちょいワル風だ(笑)。衣装は坂本が茶系の上着にジーンズ、幸宏は黒のシックなスーツにハット、細野は普段着のようなラフな格好だった。


 その後幸宏がドラムセットに納まり、ここでまたしてもどよめきが。そして演奏されたのは、なんと坂本のソロ曲である『War And Peace』。そしてラストは、やはり来たかという『Rydeen79/07』だ。オリジナルの近未来的な志向とは異なる、どこか遊び心が加わったアレンジで、これはこれでアリなのかなと思う。そして演奏を終えると3人はステージの前の方に出てきて並んで挨拶をし、ステージを去っていった。もっと曲を聴きたいという客は願いを込めてアンコールの拍手をしたのだが、結局場内は明るくなり、終了を告げるアナウンスが流れてしまった。これにて、京都のライヴアースは幕を閉じたのだ。








 3人が3人とも、YMOが伝説的な存在として扱われることに大きく戸惑っているようで、そうした期待感をかわそうかわそうとしている節がある。5月には横浜でHAS名義でライヴを行っているが、これはがんのチャリティーイベントにリンクしたものだった。つまりは純粋なる活動としてでなく、何かしらの大義名分を背負っていた方が彼らにとってはやりやすいのではと思われ、今回もその一環だと私はみなしていた。


 ところが、ひと言も発することなく淡々と演奏に徹していた3人の姿、奏でられた曲、そして緊張感漂う演奏に、私はシビレてしまった。そこにはお祭りとか同窓会といったムードはこれっぽっちもなく、やる以上は最高で最上で新しいモノを届けようという、高いレベルのプロ意識があったと思う。まさに日本の最高峰に位置し日本を代表するユニットと言っていいだろうし、そのYMOが世界10都市のひとつである京都でステージを行ったというのは、非常に意義があったと思うのだ。




(2007.7.14.)


















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