Wetton/Downes 2006.10.24:原宿アストロホール

ジョン・ウェットンもジェフリー・ダウンズも結構いい年のはずだが、今回の来日公演は東名阪を3日連続で回り、しかも各地で1日2公演をこなすという過密ぶり。私は東京2回目に参加することにしたが、入場してみると、予想していた以上に客の年齢層は高かった。会社帰りと思しきスーツ姿の男性が圧倒的に多く、頭部が・・・な人も少なくない。開場から開演までは30分しかなく、フロアがほぼ満員の入りになり、予定時間を10分ほど過ぎたところで客電が落ち、バンドがステージに姿を見せた。





 まずはダウンズのキーボードに合わせてウェットンがブルースハープを弾く、1分程度の短い『Pane Bruno』で軽快にスタート。しかしすぐさま『Don't Cry』のイントロへとシフトし、場内からはおおおっという歓声が漏れる。しかしウェットンのヴォーカルには、CDで聴いているときのような「伸び」がない。年を重ねていることに起因しているのかな。そのウェットンをカヴァーするかのように、サビになるとダウンズとギタリストがコーラスを入れ、それでなんとか格好がついている状態だ。


 『Go』も同じような状態だったが、続いてはなんと、個人的にエイジアのベストナンバーでもある『Only Time Will Tell』が、早くも放たれてしまった。ダウンズの指先から発せられる電撃のイントロに思わずため息が漏れ、背中に電流が走った。前期エイジアの曲は、そのほとんどがウェットンとダウンズの共作であり、ライヴの場でもこの2人が揃うことで再構築されるのが、最も望ましい形だったのだ。私は早くも伝家の宝刀が抜かれたような衝撃を受けたし、ショウはここで最初の沸点に達した。演奏を終えると、「キミタチサイコーダヨ」という、ウェットンの日本公演ではお馴染みのMCが飛び出した。





 狭いステージには、4人のメンバーが陣取っている。フロントにはジョン・ウェットンで、個人的には97年のこの人のソロライヴ以来9年ぶりに観るのだが、体形といい風貌といい、すっかり変わってしまっていた。細身ですらっとした人というイメージだったのに、現在のこの人は体形が崩れ、顔の面積も広がり、首も太くなり、そして二重アゴになっていた。それでいて愛想だけは振りまいているものだから、観ている方にとっては正直かなり厳しいものがあった。


 もう一方の重鎮である、ジェフリー・ダウンズ。こちらも体形はやや太めだが、金髪のヘアがまぶしく、その風貌はロッド・スチュアートとジョー・エリオット(デフ・レパード)を足して2で割ったような感じで、こちらはまだ視覚に耐えうる(笑)。そしてサポートの2人だが、まずウェットンの向かって右に陣取るのが、ギターのジョン・ミッチェル。ウェットンの真後ろでその姿がほとんど確認できないのが、ドラムのスティーヴ・クリスティー。この2人、実はウェットンのソロバンドのメンバーも務めていて、長年ウェットンをサポートし続けてきた人たちなのだそうだ。





 ウェットンとダウンズは、90年代はそれぞれに活動していて交わることはなかったらしいが、21世紀に入ってからたびたび共演するようになり、そういう伏線を経て今回のコンビ結成に至ったらしい。「アイコン」という名義で昨年アルバムをリリースしており、そしてこの公演日の翌日にセカンドアルバム『Rubicon』がリリース。というわけで、アイコンとして手掛けた曲もいくつか披露された。ウェットン=ダウンズのエイジアがもし継続していたらこんな音だろう、と思わせるメロデイーラインの美しさを軸にしつつ、曲によりラウドだったりメタリックだったりという要素も見え隠れしていて、いい意味での「遊び」が効いている感じだ。


 中盤では、まずウェットンがアコギを手にし、ダウンズと2人だけで『Paradox』をしっとりと演奏。やがてジョンが加わって『Let Me Go』へとなだれ込む。かと思えば、ジョンとスティーヴだけでのインストもあって、やがてウェットンとダウンズが加わり『Days Like These』を演奏するなど、適度にメリハリを効かせている(こうした出入りは、ウェットンやダウンズの体力的な問題もあるのかも)。スティーヴは序盤こそリズムキープ重視だったが、中盤以降はパワフルなプレイへとシフト。そしてギターのジョンは間奏で、エディ・ヴァン・ヘイレンのようにライトハンド奏法を連発。ただウェットンやダウンズを引き立てる黒子役に徹するのではなく、それぞれに自身のアイディアを盛り込んでいて、それが大物2人を刺激するという格好になっていた。





 しかしなんだかんだ言いながら、ハイライトになるのはやはりエイジアナンバーだ。荘厳な雰囲気を漂わせる『Voice Of America』、ラフでシンプルなアレンジでの『Never In A Million Years』。そして本編ラストは、『Soul Survivor』を経ての『Open Your Eyes』だ。イントロのところでダウンズが「open your eyes~♪」と繰り返し歌うのだが、マイクにエフェクトがかけられていて、機械がかった音声になって発せられていた。ここまで大半の曲はほぼ原曲通りに演奏されてきたのだが、終盤はジョンのギターを中心にしたインプロヴィゼーション合戦になった。


 4人が肩を組んで礼をし、いったんはステージを後にする。しかし1分も経たないうちに、ダウンズとウェットンの2人が生還。ダウンズのキーボードと、ウェットンのヴォーカルだけというシンプルなアレンジで『The Smile Has Left Your Eyes』をしっとりと披露。そしてオーラスは、もちろんエイジアの代表曲である『Heat Of The Moment』だ。終盤はサビの箇所の連呼となり、ウェットンは客に歌うよう呼びかけ、スキルの高い客は合唱し、その間演奏はストップしていて、客とメンバーの歌声だけが場内に響き渡る。そしてまた演奏に立ち戻り、最後を締めくくった。





 イエスやピンク・フロイドなども含む全てのプログレ人脈において、私が最も好きなアーティストがジョン・ウェットンだった。70's前半のキング・クリムゾンにベーシスト&ヴォーカリストとして参加し、数々の傑作を生み出すのに貢献。そして、この人のヴォーカリストとしての資質が最大限に発揮されたのがエイジアだと思っていて、だから私は、エイジアが産業ロックなどと揶揄されても、何ら気にすることなく聴き続けてきた。


 しかしこの日のジョン・ウェットンは、はっきり言ってしまえばそれまで私が支持し続けてきたジョン・ウェットンではなくなっていた。老いを隠せないだけではなく、音楽表現に対する現役感覚が決定的に乏しかった。「終わった人」「過去の遺産で食い繋いでいる人」「余生を送るフェーズに入った人」臭がぷんぷん漂っていて、残酷な現実を見せ付けられた気がした。


 ではこの日のライヴそのものが懐古に終始していたのかと言えば、決してそうではない。それは、ジェフリー・ダウンズの存在と活躍があったからだ。合計5つか6つの鍵盤を並べ立ててそれらを自在に操り、サウンドの要を担っていた。ウェットンを立て、ジョンやスティーヴには奔放にさせておきながら、実質的にバンドを統制し、牽引していた。そのたたずまいは、プレーヤーというよりはむしろプロデューサーに近いものがあった。それだけにエイジア一辺倒ではなく、彼らの「現在」であるアイコンからの曲を、もっと披露してもよかったのではないかと思う。


(2006.10.25.)
















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