David Sylvian 2004.4.24:昭和女子大学人見記念講堂

開演前の場内は、異様なまでに静かだった。まずBGMがない。そして客や係員の話し声、物音などもわずかにしか聞こえてこなくて、ほんとうに2000人もの人が同じ空間の中にいるのかと、逆に不安になってしまう(苦笑)。まるで図書館にでもいるような感じで、気軽に物音をたてたり会話をしたりするのもままならず、逆に緊張感が漂っている。こんな具合で時間が経ち、予定より10分近く過ぎたところで客電が落ちた。





 向かって左の袖の方からメンバーが入場し、それぞれ持ち場につく。ステージ上に設置された機材類は、極めてシンプル。中央やや左のキーボードの前にデヴィッド・シルヴィアンが座り、右のキーボードにはシルヴィアンの実弟スティーヴ・ジャンセン。サウンド面はこの2人なのだが、今回はもうひとり、VJとして高木正勝という日本人が参加。デヴィッドのやや左に陣取っている。


 オープニングは、昨年リリースされた新譜『Blemish』の冒頭を飾っているタイトル曲だ。ぼわぼわした音を奏でつつ、静かに歌うシルヴィアン。スティーヴはバックヴォーカルを務めてハモり状態になり、そしてステージ後方にはスクリーンが2つあって、そこに高木が手がけたアブストラクトな映像が展開される(このときは、同じ映像を何度か繰り返していて単調に思えた)。


 いちおう曲が終わると映像も終了して、切れ目が明確になっている。そこで場内からは拍手が沸く。しかしシルヴィアンは何を語るでもなく、ひと呼吸置いた程度ですぐさま次の曲に取り掛かる。そしてまたまた、『Blemish』からの曲を演奏。この新作はロックというよりはアンビエント志向が色濃く出ていて、シルヴィアンの低音ヴォーカルがあることでなんとかエンターテイメントの線をぎりぎり保っているような具合。過去にはカンのホルガー・チューカイとのコラボレーションもあって、それを聴いている私はいちおう「免疫」はあるつもりなのだが、それでもただ黙って座って聴いていると眠くなってきた(笑)。





 その『Blemish』だが、オリジナルとしては約4年ぶりに当たり、ではこの4年間はというと、『Everything And Nothing』『Camphar』という、2枚のベスト盤をリリース。2001年には、前者にリンクしたツアーで来日もしている。ベストを出したということは、それまでの活動にひと区切りをつけるという意味合いがあると思っていて、実際この後はヴァージンを離れ、自身のレーベルを設立。その第1弾がこの新作という具合になっている。なので、ここでの音プラス映像の世界というのは、一見実験性が高いように見えるが、実はシルヴィアンが長年いろいろとやってきてたどり着いた、理想郷なのではないだろうか。


 サウンドは、シルヴィアンとスティーヴのキーボードを基調としつつも、サンプリングをかなり多用している(3人の卓上には、i-bookがあった。さまざまなデータが詰まっていたのだろう、きっと)。ギターのリフもサンプリングで、ライヴならではの生々しさはない。ただひたすら、緻密で繊細な音像の構築作業をしているような感じだ。しかしそれだけに、音そのものやそれを発する機材に対するこだわりは、相当なもののように見て取れる。特に興味深かったのは、スティーヴの電子パーカッション。手でぽこぽこと優しく叩いているのだが、それが曲によりシンセドラムのような音になったり、木琴や鉄琴のような音になったりしている。デヴィッド・シルヴィアンという人は、そのルックスからはソフトな印象を受けるけど、実はとっても神経質で、とっても頑固な人なんじゃないかな。





 こうしてライヴの前半は進んでいたのだが、やがてスクリーンの映像がノイズをちらつかせながら上下に乱れ始め、そしてついには止まってしまった。その間、シルヴィアンはゆっくりとキーボードから離れ、ステージ中央部前方に用意されていた椅子に腰掛ける(高木正勝はフェードアウトするようにステージを去る)。アコースティックギターを手に取り、そして弾き始めた曲は、ジャパンの『The Other Side Of Life』だった。もともと、ジャパンのキャリアを代表するような煌びやかな曲ではなく、そしてここでは原曲とは異なるアレンジで演奏されている。


 ジャパンが解散してもう20年以上になり、バンドとしての活動よりも、ソロになってからの活動期間の方が長くなってしまった。90's以降は解散した多くのバンドが再結成を果たしたが、集金ツアーに終始したバンドもあれば、自己批評に富んだ質の高いライヴをしたバンドもあった。期間限定の再結成と割り切ったバンドもあれば、ツアーがうまく行ったことがきっかけになって新作をリリースし、そのまま活動を再開しているバンドもいる。しかしジャパンについては、そうなるタイミングすら逸してしまった感があり(『Rain Tree Crow』のときがチャンスだったのだが)、いつのまにかかなりの時間が経過して今に至ってしまった。私にとっては今でもなおジャパンの音楽は輝いているし、眩しいのだが、この人にとっては思春期的な位置づけになっているのかな。


 さてこの後はアコギを中心にしたプレイとなり、後方スクリーンもしばし静止したままだった。アコースティックとはいえ、さすがに前半よりは生演奏としての醍醐味に溢れ、場内の温度も幾分ではあるが上がったような感覚だ。スティーヴのプレイも完全にパーカッション主体になり、たった2人だけの編成ではあるが、それが逆に圧縮された美しさを感じさせるステージへと変貌した。この日の会場は2000人規模だが、もっと狭いところで、そしてもっと間近で観ることができたら、この世界観をもっと堪能できるのではと思った。





 終盤、シルヴィアンは再びキーボードに立ち戻り、そして高木正勝も生還。さすがに大詰めに差し掛かったこともあってか、演奏そのものにも熱が入ったように見え、またバックの映像も人間の表情が映し出されるなど、温かみがあるものになっている。そして本編ラストだが、未発表曲なのか新曲なのか、これまた密度の濃い曲と演奏になった。ここまでほとんどMCのなかったシルヴィアンだが、最後はメンバー2人を紹介し、挨拶をしてステージを後にした。アンコールも2回行われて、ラストはシルヴィアン・フリップの『Jean The Birdmen』。しかし、シルヴィアン・フリップとは編成メンバーも使っている楽器も異なっているので、ここではアコギを主体としたブルージーなアレンジになった。





 私がこの人のライヴを観たのは、92年3月のシルヴィアン・フリップ公演以来、実に12年ぶりのこと。いちおうジャパン時代からシルヴィアン・フリップまでの作品は聴いているのだが、その後約10年のこの人の音楽や活動には疎く、正直ライヴが楽しめるかなという不安もあった(異様なまでに静かな場内にも面食らったし/笑)。最初の方にも書いたけど、新作『Blemish』と今回のツアーは、実験や新たな試みというよりは、今のシルヴィアンが自由にやりたいことをやっている、そういう境地に到達できたのではと私は捉えている。そして今回の質の高いライヴを観て、この12年の間にも何度かあった来日公演をことごとくパスしてきたことを、少し後悔したのだった。




(2004.4.25.)
















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