David Bowie 2004.3.9:日本武道館

親日家の印象があるデヴィッド・ボウイだが、日本公演の回数は実はそれほど多くはない。初来日は73年で、以後78年、83年、90年、92年(テイン・マシーンとして)、96年、そして今回だ。だいたい5年のインターバルがあり、今回などなんと8年ぶりだ。そして東京公演の会場は、8年前と同じ武道館だ。


 定刻通りに客電が落ちるが、まずはオープニングアクトが登場。元BOOWYの松井常松によるプロジェクト、グルーヴ・シンジケートである。メンバーはベースの松井のほか、キーボードやプログラミング機材を操る人が2人。演奏は終始インストで、曲と曲との切れ目もなく、約20分間弾きしっ放し。序盤はロック色が濃かったのだが、徐々にダンサブルなサウンドへと変貌して行った。同じく元BOOWYの布袋寅泰がプロデュースしているこのユニット、夏フェスとかにも出てきそうな気がする。





 この後約30分のセットチェンジを経て、場内が暗転。まずはステージ後方の横長スクリーンに、バンドが演奏するアニメーションが浮かぶ。映像はやがてニューヨーク摩天楼から地球~銀河へと切り替わり、ここでメンバーがステージに登場。演奏が始まったところで、向かって右の袖の方からボウイがゆっくりと歩いて登場する。曲は『Rebel Rebel』なのだが、出だしはテンポをスローに落とし、じっくりと歌い上げるようなバージョンで。これでワンコーラス終えたところで、印象的なギターのリフが炸裂する。


 ボウイの衣装は、黒を基調としたラフな感じ。動きは軽快、足はすらっとしていて、歳を感じさせない(現在57歳!)。続くはジギー時代の『Hang On To Yourself』。これまたイントロのリフが印象的な曲だが、今回それを担当しているのはアール・スリックだ。70's中盤のボウイのバンドメンバーで、とすればこの人もいい歳のはずだが、体型といいアクションといい、ボウイに負けず劣らず若々しい。


 今回のバンド、もうひとりのギタリストやドラマー、キーボードの黒人女性といったところは近年加わったメンバー。スキンヘッドの黒人女性ベーシスト、ゲイル・アン・ドーシーは『Outside』のツアーから加わっている。そしてジギー時代から断続的にボウイを支え続けるキーボード奏者、「盟友」マイク・ガーソンが、左奥にどっしりと構えている。ステージは床がフローリング地になっていて、前方が客席に向かって少し突き出している格好。ボウイは曲によってはそこまでマイクスタンドを持ち出して歌う。両サイドと後方にも、大きな机のような台がある。





 序盤は『Reality』や『Heathen』といった近年の作品からの曲と、往年の曲とがランダムに演奏される。『Fashion』なんて、どうしてこんなだらだらした曲を作ったのだろうと、長年に渡って私は思い続けてきた。だけどここではノイジーなアレンジにより、古臭さもなければだらだらもしていない。『Cactus』はピクシーズのカヴァー。もともとボウイは、先輩だろうと後輩だろうと、曲そのものがよければカヴァーする人だ。フランク・ブラックとは共演経験もあり、今年再結成ツアーを行うピクシーズに対するエールのようにも取れる。


 最初の沸点は、『All The Young Dudes』だった。8年前はオーラスだった曲を、もう演ってしまうのか。ここでもやはりアール・スリックのギターが冴えていて、ミック・ロンソンを彷彿とさせる。そう、この曲はもともとはボウイがモット・ザ・フープルに提供した曲なのだが、モットのイアン・ハンターとミック・ロンソンとは一時期共に活動もしている。ミック・ロンソンは93年に亡くなり、翌94年に遺作『Heaven And Hull』がリリース。そのラストにこの曲のライヴバージョンが収められていて、今の私にとっては、ボウイやモットよりも、むしろミック・ロンソンの曲というイメージがある。


 『The Man Who Sold The World』は、ほぼ原曲に忠実なアレンジでの演奏。この曲がこんにち特別な意味合いを帯びているのは、ニルヴァーナが93年にMTVアンプラグドでカヴァーしたからだろう。そして2回目の沸点となったのは、『Hallo Spaceboy』のとき。ボウイは向かって右の大きな机の上に立って歌い、間奏のドラムビートとそれにリンクして閃光するヴァリライトが凄まじい。





 今回のライヴは、ボウイ自身によるMCも豊富だ。「コンバンハ」「タダイマ」「チョットマッテ」など、日本語も多用。携帯ゲームのような小さな電子機材を取り出し、アカペラで『Space Oddity』の一節を歌ってみせたり、マイクコードを巻き取るスタッフをいじったり。マイク・ガーソンの誕生日だとかどうとか、そんなことも言っていたような気がする。こうしたときは和んだ空気になっているのだが、しかしいったん曲が始まれば、場内には緊張感が漂う。こうしたメリハリの利かせ方もうまい。


 そしてその緊張感だが、それは『Heathen』『Reality』の近年の力作からの曲のときに、一層強く感じられる。この人の場合、70'sがあまりにも劇的過ぎたので、それ以降の作品というのはどうも分が悪い。しかし『Heathen』からの近未来志向の曲、『Reality』からの無国籍風の曲などを改めてこの場で聴いてみると、この人が何度目かのピークに差し掛かっていることが伺えるのだ。そしてそれができるのは、今回のライヴでこそ1曲も演奏されてはいないが、99年に『Hours...』で自身の年齢やそれまでの活動をきっちり整理できたからなのだろう。


 今日本では、トレンディドラマの主題歌やBGMに使われていることもあって、空前のクイーンブームだ。他の番組まで便乗してクイーンの曲を流しまくる始末だが、この国のそうした状況もここではいい方に働いているのか、『Under Pressure』ではこの日何度目かの沸点に達する。もともと本国イギリスで大ヒットした曲だけど、ここではゲイル・アン・ドーシーがフレディ・マーキュリーのパートを担当し、そしてボウイが歌う自らのパートについては、密度の濃さは驚異的になる。


 ここ数年のボウイは、その年齢とは裏腹にどんどん若返って行っているように見える。その風貌も、アクションも、そして音楽そのものも。その今のボウイを突き動かすパワーの源にひとつになっているのが、フレディやミック・ロンソン、カート・コバーンといった、死んでいった者たちに対する想いなのではないか。かつて共に歩んだ盟友たち。今はもう亡い盟友たち。しかし、自分はまだ生きている。まだやれる。そういう想いが、今のこの人にあるのではないか。





 その溢れんばかりのパワーは、この人がもともと持ち合わせている懐の深さ、引き出しの多さをも更に有効にしている。名曲や佳曲を数多く持ち、何パターンものセットリストが組めそうなアーティストとして、ボウイはボブ・ディランやプリンスと並び立つ、数少ない存在だろう。そして往年の名曲に対するファンの反応も人それぞれだと思うのだが、個人的には『Be My Wife』『A New Career In A New Town』の2連発にやられてしまった。


 共に傑作『Low』からの曲で、特に後者は別世界へと誘われるような感覚に陥るインストナンバーだ。美しいメロディに乗せて、淡々とブルースハープを吹くボウイ。77年に世を震撼させた音の世界は、実は時代を先取りした音にもなっていたのだ。更にはインダストリアルな重厚さを感じさせる『I'm Afraid Of Americans』を経て、本編ラストは必殺の『Heroes』。ボウイは、ロックやテクノ、メジャーやオルタナティヴといった音楽のジャンルの間を自由に行き来できる、ほとんど唯一と言っていいアーティストだ。








 アンコール、まずはマイク・ガーソンひとりが登場し、キーボードを弾き始める。すると後方左にボウイが姿を見せて、『Bring Me The Disco King 』を歌うという具合。ライヴの中で、マイク・ガーソンが大々的にフィーチャーされる瞬間が必ず来るだろうと思ってはいたのだが、ボウイはアンコールのしょっぱなという、非常に重要な局面を選んだ。超一流のアーティストというのは、もちろん技術も伴うとは思うが、それを超えたところで自分だけの音を鳴らす。音を聴けば、ああこの人だとわかる個性を持っている。


 この後は再びフルバンドとなり、怒涛のジギーナンバー攻撃に突入する。アコースティックな『Five Years』、アップテンポなロックナンバー『Suffragette City』を経て、オーラスは『Ziggy Stardust』。いずれもボウイの代名詞的存在の曲でありながら、8年前のツアーでは全く演奏されていなかった曲たちだ。この変幻自在ぶりもボウイの魅力のひとつなのだが、今回こうしたカードを奥の手として切ってきたのは、年季の入ったファンは元より、若きファンに対するメッセージの意味合いもあると思う。伝説は封じ込めておくことによって伝説足りえるのだろうが、開放することによってもまた新たな伝説を生む。そう、この日この場に居合わせた私たちは、新たなる伝説の目撃者になったのだ。








 96年の武道館公演を観て、私は驚愕した。序盤こそ『Outside』を中心にした構成だったが、中盤以降は往年の名曲が次々に飛び出し、予測不能の緊迫感が漂った。あの公演を体験して以来、年間ベストライヴだとか、生涯ベストライヴだとか、そんなことを考えるようになったし、以降のライヴにも高いレベルを求めるようになった。


 正直に言うと、今回の公演では、そのときほどの衝撃も感動も得られないかもしれないと、覚悟して臨んでいた。ただ元気でやっている姿が確認できれば、それだけで充分だと思っていた。年齢的な面から見ても、そう考える方がむしろ自然ではないか。しかし、ボウイはその上を行っていた。パフォーマンス自体はむしろ8年前よりも無理がないというか、自然体で歌えている様子だった。


 今後この人が世に放つ作品は、キャリア最高傑作レベルになるであろうことが期待できる。そう思わせてくれるベテランアーティストは、今のところボブ・ディランだけだというのが私の認識だが、デヴィッド・ボウイもその領域に足を踏み入れつつある。そう感じさせるに充分過ぎる、今回のライヴだったと思う。




(2004.3.11.)































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