椎名林檎 2003.9.27:日本武道館

約1ヶ月に渡る全国ツアー「雙六エクスタシー」も、この日の公演がラストとなる。そして、会場は日本武道館。これまで彼女がライヴを行ってきた会場は、フェスティバルを別とすればホールクラスまでだった。彼女が持ちうる実力や人気からすれば、武道館進出は遅すぎた気もするが、逆に考えれば「満を辞して」という感もあって、ここで必ず彼女はまた何かを仕掛けてくるはず、という期待で(そして不安も)膨らんでくる。





予定時間より20分近くが過ぎたところでアナウンスがあり、まずは東京事変のメンバーが登場。それぞれが持ち場についたところで最後に椎名林檎が登場し、場内からは歓声が沸く。格好は、初日の渋公のときと同じく全員浴衣姿だ。そして客電がついたままでいきなりイントロが始まり、林檎嬢はスピーカーを手にして歌い出した。『幸福論(悦楽編)』で、林檎嬢はステージ上を右に左にと歩きながら歌う。


武道館は360度座席がある会場なのだが、コンサートとなるとだいたいステージは北側に設けられ、よって北や北東/北西の2階席には客を入れないことが多い。ところがこの日のライヴは、文字通り360度ぎっしり客を入れている。特に北の1階席は、ステージの真後ろではあるが逆にステージに最も近く、ある意味特等席かも。私も武道館へは数多く足を運んでいるが、360度開放したライヴで強く印象に残っているのは、94年のエアロスミス以来だ。これができるというのは、ファンサービスというよりは自らの音楽やパフォーマンスに対する自信だと思う。


『(悦楽編)』を歌い終えたところで、客電が落ちて場内は真っ暗に。ここで『罪と罰』となり、ステージは薄ら赤い照明で照らされる。ステージは4本の鉄骨で支えられていて、各メンバーや楽器の配置は、渋公で観たときとほぼ同じだ。外側には大きなスピーカーがあって、後は北や北東北西といった、ステージが見づらい客のためにモニターがあるように見える。ステージとアリーナ最前列との間にも大きなスペースがあって、カメラを積んだクレーンが移動するためのレールが敷設されている。





曲はほとんど渋公のときと同じで進むのだが、受ける印象は渋公のときとは全く違う。ツアー初日と最終日という違いはあるにせよ、これがほんとうに同じバンドなのかとびっくりするくらいだ。きっと全国を巡るうちにバンドとしての精度を徐々に高め、かつコンビネーションも密になっていったものと想定される。いや、初日の渋公が悪かったとか、決してそんなことはなかったはずなのだが、ここでのバンドは群を抜いて素晴らしい演奏をしてみせている。


渋公のときは、新譜『加爾基精液栗ノ花』からの曲を生バンドでシンプルなアレンジで演奏することに面食らった私だ。だけどここではそうした違和感を感じることもなく、むしろこっちの方がしっくりくるよなと思わせるくらい、演奏に説得力がある。表現手段はひとつではなくて、いくらでもあるんだよと言わんばかりのように見て取れ、彼女のアーティストとしての懐の深さに、改めて感服させられる。


そして林檎嬢本人だが、その歌声に代表される表現力は、武道館の広さをものともしない。だだっ広い会場で彼女が歌うというより、武道館全体が彼女のスタジオのような濃密な空間になり、この日集まった約1万3千人の客を、自分の世界の中に引っ張り込むことに成功している。暗いステージで歌う彼女に、ピンスポットが当たっているときの光景の、なんと美しいことか。そして4年前にクアトロで彼女のライヴを観た身としては、よくぞここまでやってくれたと、なんだか保護者に近いような感覚も湧き上がってくる。





『黒いオルフェ』を経て、メンバー紹介へ。ステージの上の方には大きな白いスクリーンがあり(これも360度だったのかな)、突然テニスコートに立つ長髪の男が映し出される。この人は、ギターのヒラマミキ緒だ。続いてドラムのハタトシ樹は、マジシャンのような格好をして踊り(手にしているのはなぜかモップ)、ピアノのヒーズミマサユ季は神主の格好でシュートを決める。


圧巻は、ベースのカメダセー時だ。競泳選手の格好でプールを泳ぎ、スイミングキャップをかぶっているにもかかわらず、モヒカンの髪はちゃんと出てる(笑)。息継ぎをするときの顔がどアップになって、ここで場内からはどっと笑いが。そして我らが林檎嬢だが、マラソンランナーの格好をしてすたすたと走っていて、やがてサングラスを外して素顔を見せる。給水ポイントに差し掛かってドリンクを取り、頭から水をかぶって恍惚の表情をしたところがどアップに。遊び心たっぷりの映像は、既にいくつもリリースされているDVDでお馴染みだが、それを大画面で観るのもまた一興である。


3年前の「下剋上エクスタシー」ツアーのとき、彼女は「平成で最もカッコいいバンド」と、虐待グリコーゲンを紹介した。実際凄腕のメンバーが揃っていて、椎名林檎名義ではなく、虐待名義でも作品をリリースしたらいいのではないかと、薄々思っていたくらいだ。しかし今回のバンド「東京事変」も、虐待に負けず劣らず腕利きが揃っている。虐待はまずは椎名林檎ありきでそのバックに控えているという具合だったのに対し、東京事変は彼女自身もバンドの一員として機能しているように見える。





『依存症』でやっと林檎嬢が初めてギターを手にするのは、やはり渋公のときと同じ。しかし、この日は観ていてここまで来るのが「早い」という感覚だった。通常、彼女のライヴではMCコーナーが2~3度あって、そこでは客とのコミュニケーションがあったり、冷やかしのような野次が飛ぶこともあって、普段洋楽のライヴばかり観ている私にしてみれば、そうしたノリというのはあまり心地いいものではなく、かえってうざいくらい。


これまで何度か彼女のライヴを観てきて思うのだが、彼女自身はMCがあまり得意でなく、仕方なくやっているように見える。もちろんこの日もMCコーナーはあったのだが、彼女のしゃべりは必要最小限だった。これは会場が広くなったことで、下手にファンとコミュニケーションを取らなくてもいい環境になったからという気もする。私は最小限でいいと思うし、そしてそれは、音楽こそがこの日の主役という、暗黙の主張のようにも思えた。


女性2人がカメラやビデオムービーでメンバーを写す『丸の内サディスティック』、スピーカーで歌う『本能』、傘を開きながらの『迷彩』、という演出は渋公のときと同様。そして、美空ひばりの『港町十三番地』では、スクリーンには旗を掲げた船団が描かれたような浮世絵が映し出される。そしてスクリーンに『百色眼鏡』のオープニングCGが流れたところで、本編ラストの『茎(Stem)』。この曲はシングルは英語バージョンだが、アルバムに収録されているのは日本語バージョン。そして、ライヴで歌われるのは日本語の方だ。ここまでやたらテンポがよく、時間が経つのが早かったように感じたが、それを「物足りない」とは思わなかった。





アンコール。バンドメンバーはラフなTシャツ姿で、彼女はドレスに着替え帽子をかぶって登場。まずはステージに近い北1階席に向かって白い花を投げ入れ、突然アカペラで『白い花の咲く頃』を歌う。そしてカヴァーの『Mr. Wonderful』を経て、『正しい街』のイントロ短縮バージョン。渋公では、2度目のアンコールでそしてラストの曲として歌われた『おだいじに』も、ここで立て続けに披露された。


スクリーンには、まずは東京事変のメンバーの字幕が流れ、続いて暗号のようなカタカナが羅列。よく見てみると、これまで彼女が発表してきた曲がカタカナ明記されている。よく読み取れなかったので、曲の配置がランダムだったのかそれとも意味付けがあってのものなのかまではわからない。しかしこの映画のエンドロールのような映像に、何やらただごとではない雰囲気が漂ってくる。彼女は歌い終えるとマイクを放り投げ、ひと足早くステージを後に。バンドだけの演奏が少しの間続くが、それもやがて終了した。































to be continued...







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