椎名林檎 2003.8.23:渋谷公会堂

椎名林檎が帰って来る!ツアーを組んでライヴをするのは、実質的に下剋上エクスタシー以来約3年ぶりのこと。福岡嘉穂劇場での「座禅」のときはフジロックと日程が重なっていたし、その前後に不定期に行われていたシークレットライヴも行けずじまい。今年2月の「賣笑」フィルムコンサートも抽選に外れていて、つまり個人的にも、彼女のライヴを拝むのは「下剋上」以来となるのだ。


 会場には、開場1時間ほど前に到着した。周辺には、待ち合わせなどで既に結構な数のファンがいた。客層としては男女半々の様子で、浴衣姿の人も結構いる。グッズの一部を販売していたので、列に並んで購入。別途通販も行うようだが、「会場限定」と銘打った商品もいくつかある。この物販は一度締め切られ、開場後に場内で再度販売となったが、待ち行列は長くなる一方だった(終演後も相変わらずの混みっぷりだった)。





 開演予定時間を10分ほど過ぎ、場内アナウンスの後に客電が落ちる。ステージ上は幕で覆われていたのだが、その幕が上がるのとほぼ同じくして、





ほ~ほぉをさ~すぅううううう 朝の山手どおおおるいぃぃいいい♪






 曲は『罪と罰』。ステージにはほとんど装飾がなく、そしてお目見えしたのは、彼女を含む計5人のバンドだ。2月リリースのアルバム『加爾基精液栗ノ花』はかなり凝った音作りをした作品だったし、その後の「賣笑」やテレビ出演などでもオーケストラ編成や「和もの」の楽器を駆使したライヴをしていたので、ストレートなバンドスタイルというのは、正直かなり意外だった。


 林檎嬢は薄いブルーの浴衣姿で、髪は黒いおかっぱになっている(ヘアピース?)。他4人も浴衣で演奏。バンドはギター、ベース、ドラム、それにピアノという編成で、パンフレットやファンクラブのサイトによると、バンド名は「東京事変」らしい。以前のバンド「虐待グリコーゲン」からは、ベースの「師匠」亀田だけが参加しているようだ(モヒカン頭だった)。


 続くは『真夜中は純潔』。レコーディングにはスカパラのメンバーが参加していて、管楽器が映えていたのだが、ここではドラムとピアノでリズムを刻む。そしてやっと、新譜『加爾基』から『ドッペルゲンガー』。更にはMCを挟んで、『おこのみで』『意識』と、新譜からの曲が続く。これらの曲の演奏に共通するのは、いずれも原曲と異なる、どちらかというとシンプルなアレンジであることだ(生バンドなのだから当然か)。どうしても違和感を感じてしまうが、この試み自体は素晴らしい。





 彼女の音楽を聴き続けてきて思うのは、その表現行為に対するプロ意識の高さだ。商品を世に出す、あるいは人前に出るという際、そこには必ず何かを仕掛けようとする意思がある。それは聴き手の存在を意識し、飽きさせまいとする意気込みであり、聴き手としては毎回彼女に(いい意味で)裏切られ、そして感動を覚えるのだ。現に私など、この場においていきなり裏切られているし(笑)。


 『すべりだい』という、意表を突く(そしてツボを突く)選曲もそうだ。シングルのカップリングを、カラオケや別バージョンなどで済まそうとしないのも彼女の素晴らしいところのひとつで、この曲は『幸福論』のカップリング曲。静かに始まって徐々にテンションが上がって行く、という展開は彼女お得意の手法だが、それでいてちょっとほろ苦い切なさが漂う、隠れた名曲のひとつである。


 ご存知のように、彼女は結婚~出産~離婚を経ていて、この間はアーティストとしての活動を休止している。今となっては短かったと思えるが、当時はこのまま隠遁してしまうのではないかという雰囲気も、漂っていたくらいだ。そして復活作となったのが、2枚組のカヴァー集という、これまた意表を突きかつ贅沢な作品だった。彼女のカヴァー能力の高さ、そしてセレクトのセンスのよさには毎回感服させられるのだが、ここでは『黒いオルフェ』が披露。実質3年ぶりのツアーだが、この間彼女はただ休んでいたのではなく、アーティストとしての幅をかなり広げていたのだ(美空ひばりの『港町十三番地』なんてのもあった。恐らく本邦初公開であろう)。





 『依存症』(ここでやっと、林檎嬢はギターを手にしたと思う)や『丸の内サディスティック』といった曲では、前回のツアーを思い出した。『丸の内』ではステージ上のメンバーを映そうと、男1人女2人がカメラやビデオムービーを持って現れ、メンバーににじり寄ってはその姿を収めようとする。この演出も、今やお馴染みだ。


 『ギブス』の終盤で、ステージ左の袖に消えた林檎嬢。するとスピーカーを手にしての『本能』ときたもんだ。この曲の終盤でもまたもや袖の方に消えるが、今度は傘を手にして再登場し、傘を開きながら『迷彩』を。ライヴ中、敢えて「魅せる」ことにこだわったとすれば、このときだろう。


 本編ラストは、『歌舞伎町の女王』を経ての『茎(Stem)』。特に後者は、原曲は凝りに凝りまくったアレンジで、そしてもともと曲自体はおとなしめな方だ。それがこの場では、もちろんバンドによる生演奏。しかし違和感を感じるどころか、大きなエネルギーを放っている。私にとっては、この日演奏されたどの曲よりも説得力があった。ここまでいろいろなことをごちゃごちゃと考えながらライヴを観てきたのだけど、この1曲、この瞬間に立ち会えたことで、吹っ切れたような気がした。





 アンコールは2回。まずは全員衣装替えし、バンドメンバーはラフなTシャツ姿で、そしてなぜか走って再登場。でもって彼女はというと、スリップドレス姿だ。まずはこれまたカヴァーの『Mr. Wonderful』を経て、イントロを短くしての『正しい街』へ。ファーストアルバム『無罪モラトリアム』の冒頭を飾るこの曲は、彼女が人生の多くを過ごした街=福岡のことを歌った曲でもあり、彼女自身の出発点のような位置づけに思える。彼女がオーケストラや和楽器を用いず、従来のバンドにこだわったのは、原点に帰れ、立ち位置を再確認せよ、という、自らに対しての戒めではなかったのか。そして2度目のアンコール、幕引きとなった曲は、『おだいじに』だった。





 「下剋上」のときは、もちろん素晴らしいライヴではあったのだけれど、限界ギリギリのような、観ている方が胸が締め付けられるような息苦しさがあった。この当時、「椎名林檎はアルバムを3枚作ったら終わり」「ファンの多くは、私が死ぬことを望んでいるはず」という本人からの過激な発言があって、実際に彼女が死ぬことはないとは思いつつも、個人的に少しでも長く彼女を観ていたかった身としては、複雑な思いだった。


 それが結婚や出産というプロセスを経たことで、彼女自身の心境にも少し変化が生じてきたようだ。この日のライヴでは、以前のようなギリギリ感も終末感も感じることがなかった。MCの際のファンとのやりとりも、他のライヴでならうざく感じるところだが、どこか微笑ましく感じていた(ただそれでも、『加爾基』のラストの曲のタイトルや、リリースされたばかりのDVD『性的ヒーリング~其の参~』のパッケージの色などから連想させるものはあって、一抹の不安は残るのだが)。


 この日の公演は、「雙六エクスタシー」ツアーの初日。少し気が早いが、私は早くもツアー最終である武道館公演に、思いを馳せている。恐らく各地のツアーは、この日の公演を踏襲する形を取ると思われる。しかし武道館だけは、会場のキャパシティの違いやチケットの値段設定を敢えて変えてきたことなどから、異なるセットになるか、あるいはプラスアルファで一層密度の濃い内容になると、予測しているからだ。




(2003.8.24.)




































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