Patti Smith 2003.7.17:赤坂Blitz

16日は2階席で観たが、この日は1階は最前列の柵にかぶりつきで観るつもりだった。実際、かぶりつけるだけのかなり早い整理番号のチケットを入手していたのだが、仕事の都合もあって、結局会場入りしたのは7時50分頃。オープニングアクトのJudeのライヴは既に終了していて、ステージはセットチェンジの最中だった。後から来たのでさすがに最前は無理だったが、それでも前5列くらいまで行くことはでき、ステージを間近にしながら開演を待った。





 前日と同様、8時過ぎに再び場内が暗転。この日が日本最終公演に当たることもあってか、ファンの気合いの入りようが凄い。それにノセられるかのように、バンドもそれぞれの持ち場につく。彼女はライヴのセットリストを固定しないアーティストで、とすればこの日の出だしも前日とは異なるはずだ・・・という期待を抱きながらステージを観る。そして彼女は、やはり期待を裏切らなかった。自らギターを背負い、レニー・ケイと寄り添うようにして弾き始めたイントロは、なんと『Ask The Angels』だったのだ。


 気のせいかもしれないが、今まで私が観てきた彼女のライヴでは、セカンドアルバム『Radio Ethiopia』からの曲が、あまり演奏されて来なかった。今や彼女をニューヨーク・パンクという枠の中だけで語ることなど不毛だが、と言ってそのピーク期の作品を彼女自身が敢えて取り上げなくなったとしたら、それは残念なことだと思っていた。この曲はセカンドの冒頭を飾り、まさにアルバムを象徴する曲だと思うのだが、それを彼女がこの場で放ってくれたことが、私にはとても嬉しかった。


 1年ぶりに間近に観る彼女は、やはりほっそりとしている。しかし、その全身から溢れるエネルギーは凄まじい。正直、16日の序盤は彼女の調子が今ひとつだったように見えたのだが(ステージ下のカメラマンが気になったらしいという噂だ)、この日は最初から全開状態だ。私はステージ向かって右の方、つまりはレニー側に陣取っていて、間奏での彼のギターソロにも聴き惚れる(今回は今までにも増してギターソロが多く、そして映えていたような気がする)。


 私はてっきり、多くの曲でイントロとなるリフや見せ場となるギターソロは、全てレニーが担当するものとばかり思っていた。しかし実際には、もうひとりのギタリストであるオリバー・レイと分け合う形を取っている。去年のフジロックでは不在だったオリバーだが、彼がバンドに復帰し、そして腕を上げたことも、今回のライヴを引き締まったものにしていることの要因のひとつだと思う。





 めがねを取り出してかけ、アレン・ギンズバーグの詩集「HOWL」の朗読を始めるパティ。それはいつしか吸い込まれるように、『Spell』という曲につながって行く。学校で習っていたときの詩の朗読なんて、面白くなかったし、退屈なだけで、興味が沸かなかった。国語自体は嫌いではなかったのだが、詩を扱うときになると、如何にしてやり過ごすかということばかりを考えていたと思う。単に私がバカで、詩の世界を理解する能力がなかっただけなのかもしれない。しかしそんな私でも、彼女が放つ詩の世界観はほんのわずかではあるがわかるような気がするし、もっと言えば、わかりたいといういう強い気持ちがある。彼女は、詩やことばの持つ力を、私に教えてくれたのだ。


 広島や長崎について触れた『Beneath The Southern Cross』、静かな曲調の『Ghost Dance』など、日替わり曲も目白押し。これだから彼女のライヴを観るのは止められないし、病みつきになる。前日にも感じたことだが、自らが生んだ曲を我が子のように育む優しさと、ライヴの場で解き放つ懐の深さは、素晴らしいと思う。このことはボブ・ディランやプリンス、エルヴィス・コステロ、パール・ジャムといったアーティストにも通ずると思うし、そして恐らくは、レッド・ツェッペリンもこうした資質を備えていたはずだ。


 『Dancing Barefoot』では儀式のように靴を脱ぎ捨て、続くは『Summer Cannibals』。個人的にはこの曲は90's版『Because The Night』だと思っていて、ライヴでは必ずハイライト場面のひとつとなる。日替わりなのがもったいないほどの、優れた曲だ。更には、カート・コバーンに捧げたとも言われている『About A Boy』まで。共に96年作『Gone Again』からで、初来日のときの感激を思い出してしまう。ファンであれば陥りがちな感覚なのかもしれないが、ここまで彼女のライヴを観続けてきて、なんと名曲の多いことか。





 同じアーティストのライヴを続けて観に行くと、2回目の方は時間が経つのを早く感じてしまう。それは、あとどれだけ楽しめるのかという、最後の瞬間からの逆算を頭の片隅でしながら、ライヴを楽しんでいるからだ。だけどこの日の場合はプラスして、彼女やバンド、そしてこの場に集まったファンのテンションが高いことも、その理由になっている。


 そしていよいよ終盤に差し掛かり、彼女のスピーチが。外をふらふらと出歩いてみて、町並みや行き交う人たちをカメラで撮っていたのだとか。空にはヘリコプターが飛び交っていて(行方不明になっていた、小学生の女の子4人が赤坂で見つかったということを、この日帰宅後に知った。飛んでいたヘリは、恐らくその取材をするテレビ局のものと思われる)、彼女はそうした人々の活動をユニークだと思ったらしい。


 と来れば曲はもちろん『People Have The Power』で、この日何度目かになるであろう、クライマックスが訪れる。彼女が思い感じるのは、ひと握りの権力者が持っている力ではなく、私たちひとりひとりの中に宿る力だと思う。曲はそのままメドレーで『Gloria』へとなだれ込み、場内の雰囲気はいよいよ尋常ではなくなってくる。彼女自身も、まるで何かが乗り移ったかのような、彼女であって彼女でないかのような、異様にエモーショナルなアクションが続いた。





 アンコールは、意外だが嬉しい曲で始まった。「みんなもよく知っているフォーク・ソングなので、一緒に歌ってほしい」という彼女からのコメントがあり、聴き覚えのあるイントロが。ローリング・ストーンズの『Jumping Jack Flash』だ!彼女がストーンズのファンであることは知ってはいたが、実際にカヴァーを目の当たりにするのは初めてだ。アレンジは、ほとんど原曲に忠実。「フォーク・ソング」と紹介した彼女の意図はよくわからないが、ストーンズのカッコよさに彼女が持つカッコよさが上乗せされ、観ている方としては興奮しっぱなしだ。


 感動の熱も醒めあらぬうちに、今度はトニー・シャナハンのキーボードによるイントロが。必殺の『Because The Night』なのだが、もしかしてこの日はセットリストから外れるのではというくらい、ここまでが凄かった。ので、今やダメ押し状態だ。そして改めて思うのは、この曲に限っては原曲のアレンジをあまり崩すことがなく、ライヴの場でもシンプルなままに披露されていることだ。


 怒涛の攻撃はまだ続く。ポエトリーリーディングのようにして始まった曲は実は『Land』で、「horses...horses...」とシャウトする彼女の勢いは、もう誰にも止められない。そして、ラストはもちろん『Rock 'N' Roll Nigger』。マイクスタンドを使ってギターを弾いたり、クラリネットに持ち替えて吹きまくったりと、やりたい放題。最後はやはりギターの弦を切り、やがて演奏は終了。ドラムのJ・D・ドーハティは先にステージを後にし、レニーやトニーも袖の方に下がろうとする。しかしパティだけはまだ燃え残るものがあるようで、なかなかステージを去ろうとしない。少しの間クラリネットを吹き続けていたのだが、やがて拳を振り上げながら「peace! peace!」と連呼。・・・こうして、彼女の日本公演は幕を閉じた。





 私が観た両日とも、密度の濃いライヴだった。時間はだいたい2時間10分くらいで、ヴォリュームとしても充分満足の行くものだった。現在の彼女は、復活や生還といったフェーズをとっくに通り越していて、キャリア中何度目かのピークに達しているのではないだろうか。秋以降は新作のレコーディングを行うという話もあるようで、こうなると今後ますます彼女の動向から目が離せなくなってきた。











そして彼女は、最後にこうも言っていた。






「I love FUJI !」と。












(2003.7.21.)
















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