四人囃子 2002.4.27:東京厚生年金会館

70'sに活動していて、解散後も不定期にライヴ活動を続けている四人囃子が、東京と大阪1回限りでライヴを行うことが発表された(後に東京は追加公演が発表)。そして四人囃子とはかつて同じ事務所であり、メンバー同士の交流もあるスモーキー・メディスソが対バンで出演することになり、このイベントは「ROCK LEGENDS」と銘打たれた。私は今年になって雑誌を読んで四人囃子の存在を知った遅れてきたファンで、そしてタイミングよくライヴまで観れるなんて、思ってもみなかった。会場内はさすがに年齢層が高く、70's当時からリアルタイムでバンドの音楽を享受していたであろうファンが集結した様子だ。





 イントロのSEが流れ、客電が落ちる。メンバーがステージ上に姿を見せるが、なんと四人囃子の面々だった。対バンとはいえ、四人囃子の方が後だと勝手に信じ切っていた私は、まずここで出鼻をくじかれた。しかしそんな私の思いなどもちろんどうでもよく、ライヴはスタート。オープニングは『おまつり』だ。ステージは、後方中央にドラムスの岡井大二、右にキーボードの坂下秀美。前列右にベースの佐久間正英、左にギター&ヴォーカルの森園勝敏という配置。静かなシンバルの音で曲は始まり、森園のギターが気持ちよく響く。長いイントロの後、森園が歌い始めたところで、場内は独特の空気に包まれる。


 続いては、『空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ』。四人囃子はデビューが73年。以降メンバーチェンジを繰り返しながら活動を続けるが、7枚のアルバムをリリースして79年に解散している。今回のメンバーはセカンド『ゴールデン・ピクニックス』のときの4人で、よっておのずと選曲も初期からとなるのだろう。初期の四人囃子は、一般にロックファンが思い描くプログレッシヴ・ロックのサウンドで(当人たちは、プログレをやっていたつもりはないとコメント。その思いは以降のアルバムで展開される)、ファンの間でもこの時期に人気は集中しているようだ。


 プログレのサウンド、そしてユニークな曲のタイトルや歌詞。洋楽ロックのテイストをふんだんに盛り込みつつ、それだけに頼らない独自の世界観を持ち、それを成し遂げるだけの高度な演奏力を備えている。それは70's当時としては驚異的なことであったに違いない。がしかし、驚異的なのは何も当時だけでなく、今でもそうなのだ。だから89年のバンドブームのさなかに突如再結成が行われたり、その後も断続的に活動をしているのだろう。頭脳警察は、自分の意思と関係なく時代にリンクする−。これはPANTAのことばなのだが、四人囃子が持つ音楽性は、時代が必要とするときがあるのだろう。


 出鼻をくじかれた私ではあるが、徐々に四人囃子の世界の中に引き込まれて行くのが、自分でもわかった。ファーストの『一触即発』はともかく、セカンドの『ゴールデン・ピクニックス』の評判が高いことを私は今ひとつわからずにいたのだが、それはこの日この場で明らかになった。『泳ぐなネッシー』では4人それぞれの短いソロがあり、曲はそのままメドレーで『カーニバルがやってくるぞ』へとつながれ、また『ネッシー』に戻るという構成になった。森園がメンバーを紹介した後の『なすのちゃわんやき』では、佐久間のリコーダーが心地よく響いた。





 そしてクライマックスは、やはりこの曲『一触即発』だった。オリジナルよりもかなりラウドでヘヴィーな仕上がりで、その意外さがまたよかった。長い長いイントロを経てギアチェンジし、森園が静かに歌い始める。その声は徐々に張りが出てきて、歌と叫びの狭間を行く。そして後半はインプロヴィゼーションの嵐。1曲の中に起承転結があり、ドラマがある。これこそがプログレの真骨頂。そして四人囃子の真骨頂でもあることを示し、本編を締めくくった。


 アンコールはないものと思っていたが、メンバーは再登場。そして曲は『Cymbaline』だった。これはピンク・フロイド69年作『More』に収められている曲で、四人囃子はもともとピンク・フロイドの『Echoes』を完璧にコピーできるバンドとして名を挙げた。ライヴでも当時の洋楽ロックをカヴァーし、またディープ・パープルを始めとする洋楽バンドの来日公演のオープニングを務めていた。当然この曲も何度か演奏している。これぞフロイドという曲ではなく、『More』からの曲だというのがまたツボだった。





 この後約15分ほどのセットチェンジをはさみ、スモ−キー・メディスソ登場。こちらはメンバーがChar、金子マリ、成瀬喜博、藤井章司となっている。本来はスモーキー・メディスンというバンド名なのだが、キーボードの人が参加できず、それでシャレを利かせて"ン"を"ソ"にしたのだとか。1曲目がなんと四人囃子の『空と雲』で、これも彼らなりのシャレだったのだろう。


 実は私はスモーキー・メディスンというバンドについて、Charが在籍していたバンドだということ以外全く知らずにこの日のライヴに臨んでいた。Charについては2年半前にティム・ボガート、カーマイン・アピスと組んでのCB&Aでライヴを体験していて、まあなんとか楽しめるだろうと思っていたのだが、これが大失敗だった。冒頭の『空と雲』のみに留まらず、以降ジャニス・ジョップリンやスリー・ドッグ・ナイト、ジェフ・ベック・グループなどカヴァーのオンパレードとなったのだ。


 私は日本テレビ系の「ザ・夜もヒッパレ」という番組が大嫌いだ。去年の秋、エリック・クラプトン来日に引っ掛けて日本のギタリストが集結してクラプトンの曲を演奏するというイベントがあったが、こういう企画も大嫌いだ。芸能人カラオケ大会やカヴァー大会なら内輪ですればいいことで、公共性の高い電波で流したり、客から金を取ってやってほしくないと思うからだ。嫌いなテレビ番組ならチャンネルを変えるか電源を切るかすればいい話で、気に入らないイベントなら行かなければいい話だが、では今回のような場合はどうすればいいのか。・・・結果、私は苦痛を感じながらひたすら耐えた。お金を既に払ってしまっていることもあるし、もしかしたら最後の最後にまた四人囃子のメンバーが姿を見せるかもしれないと思ったからだ(結局それもなかった)。





 帰宅後、スモーキー・メディスンについて少し調べてみた。結成時メンバーは10代で、公式のレコードデビューがないままに解散。演奏もそのほとんどがカヴァーで、オリジナルは数少ない状態。その後メンバーがそれぞれに活躍し実績を残すことで、バンドの存在は伝説となった・・・といったところだ。


 しかしなあ。見終わった後になって思うのは、なんで対バンという形をとらなければならなかったのだろうかということだ。両者ともそれぞれ単独で興行をしても充分集客できただろうし、現にこの日のチケットは入手困難で大変だった。両者には、それぞれにふさわしい場というのがあったと思う。スモーキー・メディスソには、(場合によってはCharや金子マリのファンクラブ限定にして)ライヴハウスかもしくはホールクラスの会場を。そして四人囃子には、野外という舞台を。




(2002.5.3.)
















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