Bjork 2001.12.7:東京国際フォーラム ホールC

国際フォーラムのホールAにはこれまで何度も行ったことはあるが(この日は中島みゆきのライヴのようでした)、隣接しているホールCに入るのは初めてだった。3階席まであるがキャパは約1500で、天井は高いが奥行きは浅いという印象を受けた。そして私が手にしていたチケットは1階の6列目。その通り前から6列目なんだろうなと思いながら席を探すと、なんと最前列だった。前5列分はオーケストラピットになっていたのだ。ピットには楽譜、それにセットリストが既に用意されていて、開演前だというのに思わず見てしまった。ふむふむ、今日はそういうことなのか・・・。


 オープニングのマトモスの演奏が終わり、セットチェンジが始まる。すると向かって右の方からオーケストラの面々がぞろぞろと登場。てっきりビョークと一緒に世界中をツアーしているのかと思ったら、日本人だ。彼らは東京フォルハーモニーオーケストラで、実はチケットにもしっかり明記されていたのを私が当日になるまで気付かなかっただけなのだが(汗)。それぞれの楽器の音慣らしを行い、そしていよいよ時間に。向かって左の方から指揮者のサイモン・リーが現れ、場内が暗転する。





 『Frosti』の優しいオルゴールの音色が響く。天井からは紙吹雪が舞う。ステージはまだ暗いのだが、スケルトンのオルゴールと白い衣装のビョークの姿は確認できる。ビョークはオルゴールに落ちてくる紙吹雪を手でつまんでは払い、ということをしている。すると今度はオーケストラピットの楽譜立てのライトが点灯し、サイモンの指揮に合わせて厳かなメロディーが始まる。『Overture』だ。映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のオープニングシーンが頭をよぎる。オーケストラは50人以上はいると思われる。世代は広範囲に渡り、男女比は女性がやや多めか。楽器はバイオリンが最も多く、客席側に陣取っている。向かって左のステージ側はホルン、右のステージ側はウッドベースという布陣だ(他の楽器もあると思われる)。それぞれの楽器には、小型マイクが取りつけられていた。


 そしてやっとステージが明るくなり、実質的に『Vespertine』の1曲目だと自ら語っていた『Homogenic』収録の『All Is Full Of Love』となる。白い衣装は、山伏がまとっているような白装束を思い起こさせた。体は骨太という印象があったのだが、意外や(失礼)ほっそりめに見える。しかしたくましさを感じるのは、母になってもう長いからなのと、表現者として発するオーラの強さからなのだろう。マイクスタンドを両手で握って歌うその姿はとてもりりしい。そして圧倒的とも言える甲高い声とその声量は、レコードまんまだ。真っ黒の髪。くりっとした目。あのビョークが、自分のほんの数メートル前に立って歌っている。ああ、ビョークのライヴをこんな間近で観ることができるなんて・・・。





 ステージは、ビョークの右後方にはプログラミング機材が並び、マトモスの2人で操っている。左後方は13人の女性コーラス。そして左手前にはジーナ・パーキンスがいて、オルガンやらアコーディオンやらハープやらを弾きこなす(この人は変わった衣装で、背中だけシースルーになっていた)。こうした変則的な編成をとりまとめるはもちろんビョーク。ギターやベースやドラムといった生楽器はないが、テクノロジーも自然のうちと言い切る彼女からすれば、こうしたスタイルは変則的でも何でもないのだろう。


 『Homogenic』での音楽は他者との限りないコミュニケーションであり、彼女はそれで行き着くところまで行ってしまった。『Vespertine』は内向的な作品であることを自ら認めていて、今回彼女がホール規模の会場にこだわりを持つのは、密閉された世界の中で彼女自身の内なる宇宙を表現したかったからなのだろう。その内なる宇宙は、なんと密度が濃く、そしてなんと美しいことか。見入ってしまうというのか、吸い込まれて行くというのか、観ている方のエネルギーが吸い取られていくようだ。


 静かで落ちついた、優しいアルバム。『Vespertine』を聴いて受けた印象だが、このライヴではまた別の色を出している。オーケストラを動員した効果もあるのだろうが、ビョークは単にレコードを再現するだけでなく、新たな命を吹き込んで生まれ変わらせているように思う。曲が進むに連れて更にその想いは強くなり、『Cocoon』~『Hidden Place』を経ての『Unison』での熱唱は一層力強くなった。ここで第1部が終了。約20分の休憩となる。





 20分という時間は、決して短い時間ではないと思う。が、終始座って観ていたにもかかわらず私はへとへとで、この休憩時間をフルに使って休むことだけに専念した。そして『You've Been Flirting Again』で第2部スタート。ビョークは赤のドレスに着替えていた。上半身はラメ地に。スカートの部分はふくらんでいて、羽根がたくさんついていた。2部構成とは言いながら、第1部の内なる世界はまだ継続していた。


 『Isobel』を経て、ついに『Pegan Poetry』。『Vespertine』の世界観を象徴する曲であると同時に、今回のツアーの軸にもなっている重要な曲だと思っている。ビョークはスカートに鈴をつけているようで、小刻みに踊るたびに鈴の音が響く。PVでは裸身をさらすことも厭わなかったそのありさまに度肝を抜かれたが、ここではシンプルに歌で勝負だ。更に続いては汽車のイントロが響き渡り、『I've Seen It All』となる。原曲はトム・ヨークとのデュエットだが、ここではビョークが全てを歌う。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」で彼女が演じたセルマは、今も彼女自身の中に生き続けているのだろう。





 プログラミングの重低音が響き、ここから真の第2部が始まる。『Army Of Me』で、最前列の私はじっとこのときを待っていた。ライヴの楽しみ方や感じ方は人それぞれだと思うし、その人の観ている位置にもよるとは思う。ただやみくもに手拍子や声援を送ればいいというものでもないし、かといって終始腕組みしてふんずり返って観ているというものでもないだろう。静かに聴くべきところはじっくりと聴き、歓喜の声を上げるべきところでは上げ、それを体全体で表現する。つまりは場の空気を読むことがとても重要だと思っていて、それがアーティストとオーディエンスとが素晴らしい時間と空間を共有することにつながっていくのだ。こんなに素晴らしいライヴを観させてもらって、なんとかそれに応えたかった。ここまで場内はほとんどの客が座って観ていた。最前の自分が立てば、後ろはそれに倣って立つ。このときこそが、まさにそれをすべきところなのだ。


 決して私ひとりだけの力ではないが、場内はほとんど総立ちになった。他の公演がどうだったのかはわからないが、この日のビョークは終始笑顔を絶やさず、気持ち良さそうに歌っているように見えた。立ち上がってやっと分かったが、やっぱり裸足だった。『Hyperballad』で更にヴォルテージは増し、その勢いのままで『Bachelorette』に突入。そして第2部は終了した。





 アンコールは私の最も好きな曲『Joga』で始まった。3年半前の暑い夏、フジロック'98のグリーンステージでもこの曲はアンコールで歌われた。あのときは野外なので今回とは舞台がまるで異なるが、曲が持つ輝き自体は一層研ぎ澄まされているように思える。そして、今回動員しているオーケストラがこれほどまでに似合う曲はない。緊急事態こそ美しいところ・・・とサビで歌うビョーク。『Human Behavior』へと続く、このライヴのこの瞬間こそが、この日この場に集まった人たちにとっての緊急事態だ。


 そして2度目のアンコール。ビョークがメンバーを紹介し、ラストとして新曲を披露する。オフィシャルサイトによると『Our Hands』という曲。明るく歓喜に満ちた曲調で、ビョークもコーラス隊もそして場内もパチパチと拍手するのがハイライトになっている。これはオーケストラを伴わない曲なので、これまではビョークを背にする形で演奏していたオーケストラの人たちも、ステージの方を見やっている。外に向けられた『Homogenic』、内に向けられたのが『Vespertine』であるならば、その『Vespertine』を通過した彼女は、もう次のステップに足を踏み入れているのではないか。そう思わせる曲だった。





 なぜもっと早く出会っていなかったのか。なぜもっと早くから、音に触れ合っていなかったのか。私はいつも心のどこかでそういうアーティストを求めていて、だけど実際にそうしたアーティストに出会ってしまったとき、これまで知らずに過ごして来た時間をたまらなく悔しく思う。フジロック'98はアンコールだけでしかもかなり後方で観ていた私にとって、この日のライヴは真にビョークと向き合う初めての機会だった。今までの私はビョークを聴いてはいたが、のめり込むというほどではなかったように思う。そして私はまた、失った時間を取り戻せない悔しさに溺れている。なぜなら、ビョーク、この夜の貴女のライヴが素晴らし過ぎたから。





(2001.12.8.)































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