Marilyn Manson 2001.3.11:東京国際フォーラム ホールA

来日公演初日ながら追加ということもあってなのか、2階席の後方は空いていた。そして空いていることが確認できる私のポジションは、なんとステージから3列目の向かって右側。私はあれこれ考えながらライヴに臨んでしまうことが多いのだけれど、今回はせっかくグッドシートを手にできたことだし、ごちゃごちゃ考えるのはやめて弾けるだけだ。





 開演予定時間から30分も待たされた後(BGMはなぜかビートルズの『(White Album)』だった)、囁きというかうめきのようなイントロが響く。少しして客電が落ち、これだけで場内のヴォルテージが上がる。ステージは白い幕で覆われていて、メンバーが入場するとその影が幕に写る。ライトがフラッシュバックのようにびかびかと光り、やがて歯車が軋むような音とピアノによるイントロに切り替わる。『Count To Six And Die』で、これは新作『Holy Wood』のラストに収められている曲だ。そして幕が落ち、マンソンとバンドが私たちの前に姿を見せる。


 すかさず『Irresponsible Hate Anthem』へとつなぐ。音が割れて音響がひどいが、そうした中でマンソンが金切り声をあげ、バンドによる爆音が炸裂する。後方左にdsのジンジャー。右はkeyでモヒカンヘアのM・W・ガーシー。2人のセットは一段高くなっていて、keyは太いスプリングで固定されている。前列左にbのトゥイギー。白いスカート姿で人形のように可愛く、そして不気味だ。向かって右、つまりワタシのすぐ目の前にいるのがgのジョン 5だった。


 こうしたメンバーを従えるは、もちろん我らがマリリン・マンソン。身につけているのは黒づくめで、黒い革地のコルセットにびりびりに破いた黒いパンスト。ロングブーツも黒で底が厚い。胸から上は露出し、左の肩から白い羽根のようなものをつけている。肌が気持ち悪いまでに白いが、結構きれいで艶が出ている(笑)。


 『The Death Song』、そしてシングルのジャケットと同じ胎児が磔になった絵がバックに浮き出る『Disposable Teens』の新作ナンバーに続いては『Great Big White World』。ジョン 5の指先から発せられる甘美なリフが印象的だ。続く『Tourniquet』で早くも竹馬がお出まし。結構安定感があってステージを楽に歩き回る。お椀のような形をしたシルバーのヘルメットをかぶり、ヘッドマイクで歌うマンソン。「トキオォォォォーーー」を連呼する『The Fight Song』、そして『The Nobodies』。この曲は一聴して地味ながら、『Holy Wood』を貫く怒りや闘争といったテーマを最も色濃く反映している曲だと感じていて、ナマで体感できて嬉しかった。





 『Lunchbox』『Rock Is Dead』『Dope Show』の3連発は、中盤のハイライトだろう。銀の紙吹雪を客席に浴びせ、何度も客電をつけてはオーディエンスをその下にさらす。私たちのいるステージ右側の最前方まで身を乗り出し、こぶしを振り上げオーディエンスをあおり絶叫するマンソン。と今度は反対の左側に行き、なんとステージを降りた!当然ながらもみくちゃにされまくった後にステージに生還。私も頭の中を空っぽにしてこぶしを振り上げるが、集会に参加しているようななんだかヤバい気分になってきた(笑)。


 私は『Mechanical Animals』をポップながら中途半端で過度期的な作品だと思っている。一方の『Holy Wood』は音としては退屈だけと、そこにすり込まれたコンセプトは見事だと思っている。これに『Antichrist Superstar』を加えての3部作というのはいかにも後付けで強引すぎるきらいがある。が、ライヴ用にコンセプトを練り直して仕上げた結果、ステージではどの曲も新たな意味を吹き込まれて蘇生し、相互に作用し合ってラウドでありながらなおかつポップな空間を作り上げることに成功している。





 今度はするするとマンソンの体が天井に向かって伸びた!そしてまるで糸で操られているかのように上体をガクンとさせながら『Cruci Fiction In Space』を歌う。続く『Burning Flag』では、文字通りこげた星条旗がバックに掲げられ、マンソンは拡声器でわめく。『In The Shadow Of The Valley Of Death』では自分もギターを弾く。この辺りになるとなんかもう我を忘れ、体を動かすことも忘れ、ただただ見とれてしまっていた。


 しかし次から次へと出るわ出るわ。まるで歌舞伎役者みたいだ(笑)。サーチライトでオーディエンスを照らしたり、司祭の格好をしてデスマスクが両端に並んだ祭壇で歌ったりと、あまりにも目まぐるしく変わる演出にこちらの方がついて行けなくなる。だけど、これもマンソンのプロ意識の現れなのだろう。


 そうした演出はもちろん見事だが、マンソン本人のパフォーマンスも凄い。唾を吐き、舌を出し、ライフル型のマイクスタンドをブン投げ、弓のように体をのけぞらせて絶叫する。パンストもビキニパンツもずり下げてお尻を出しちゃったり(笑)、ステージにブッ倒れて寝転んだまま歌ったり、黒人セキュリティの帽子をかぶってみたり、ジョン 5をスリーパーで締めたりと、とにかく忙しい。ユーリズミックスのカヴァー『Sweet Dreams』ではオーディエンスにマイクを差し出し、その後なんと自分の胸にマイクをゴツゴツと打ちつける。この曲は初期の頃から歌われ続けているが、今でもマジックを備えた曲として充分に通用している。





 いよいよ終盤。今度は真っ赤な演説台が用意される。正面にはライフルと2丁のリボルバーとで十字架が形作られ、同じ絵柄がバックにも浮かぶ。『The Love Song』だが、ベタベタした甘さとはまるで無縁の、こんな激しいラヴソングを歌う奴はこの男しかいない。そしてついに出た出た『The Beautiful People』!!ドドドドッドッドツという印象的なドラミングと、身体が引き裂かれるかのようなジャジャッというギターリフは永遠不滅だ。


 アンコールは『1996』1曲で、再び縦横無尽にステージを動き回ったマンソン。が、次の曲はイントロだけが響き、ここで客電がついてしまう。ステージには既にマンソンやバンドの姿はなく、スタッフが片付けに入っていた。いささか不意を突かれた終わり方だが、恐らく本人は自分が意図したライヴをできたことに満足しているに違いない。





 私がマリリン・マンソンを初めて観たのは2年前の来日のときで、このとき私はマンソンのアーティストとしての質をはき違えたままにライヴに臨んでしまっていた。マンソンにとって音楽とは自らを追い込むための「手段」なのではなく、音楽をすることこそが「目的」だったのだ。つまりはイギー・ポップのような自己破滅型ではなく、デヴィッド・ボウイのようなポップ・スター型のアーティストだったのだ。今回も仕掛けや視覚的効果が冴え渡っていたが、プラスしてバンドとしての演奏力も充実していたように思う。更には最高のステージを提供しつつも、そうした状況をも笑い飛ばしているような余裕すらうかがえた。




(2001.3.12.)































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