椎名林檎 2000.5.3:渋谷公会堂

ブランキー、レイジ、宇多田ヒカル、レディオヘッドと続くBGMに内心ニヤリとしながら、開演する瞬間をじっと待つ。開場から開演まで30分しかインターバルがないが、それでもいつのまにか場内は満席に近くなる。立見席も出ていたようだ。客層の男女比は半々に見え、噂に聞いていた看護婦コスプレは結局見かけずじまいだった。





 午後6時10分。客電が落ちる。ステージ上は幕で覆われたままだ。と、ここで不意に





好き~なひと~や物が多すぎて






 林檎嬢の吸い込まれるような声。『月に負け犬』である。そして、ラウドなサウンドと共に幕がストーンと落ちる。バンド"虐待グリコーゲン"がハの字型に陣取っている。ステージ中央にはもちろん林檎嬢。白いドレス姿だ。かなり髪が伸びていて、顔がすっぽりと覆われている。


 か、かっこいい!先攻エクスタシーのスリップ姿とたいまつメラメラのオープニングにも度肝を抜かれたが、ぱっと見すっきりした今回のいでたちには、自信がみなぎっているように見える。しっかりと足が地についたたくましさを感じる。ワタシが女性アーティストをかっこいいと思ったのはパティ・スミスが最初だが、私の数10メートル先にいる林檎嬢に、パティの姿がダブって見える。


 『月に負け犬』が今回のツアーのトップであることは事前に知っていたが、正直ナマを見るまでは違和感を感じていた。しかし、静から動へ。そしてまた静へ。このメリハリのある曲調。更には異様に甲高く響く彼女の歌声。納得である。





 続いてはイントロのギターリフが印象的で、アップテンポの曲調の『警告』。本人曰く、昨年秋の学舎エクスタシーツアーは一連のヒット曲を廃したステージにしていて、その内容が結構叩かれて参っていたとのこと。それを受けて、今回の下剋上では自分が攻めるのだそうだ。この選曲に、彼女のその意志と決意がにじみ出ている。


 そして今回ツアー唯一のカバー曲となる『君ノ瞳ニ恋シテル』。シングル『罪と罰』のカップリング収録ながら、原曲自体がさまざまなアーティストに何度もカバーされているため、何かと話題になった曲だ。しかし、言わせてもらえば林檎バージョンはそれら全てを凌駕している。ジャジーなイントロ。そして一気に流れるような重厚な曲調は、なぜか妙な懐かしさを兼ね備えている。CDで聴いたときのみずみずしさは、ライヴでも少しも色褪せることがない。


 激しいドラミングがやがて集約され、『本能』を呼び起こす。拡声器を手にし、ステージ上を右に左に動き回る林檎嬢。こんにちの林檎大ブレイクの口火にもなった曲であり、アルバム『勝訴ストリップ』では終盤大詰めに配置された曲でもあるのだが、こんな序盤に演ってしまうなんて。こっちはもう満腹状態。ゲップが出そうだ(笑)。





 MCの後は『勝訴』の冒頭を飾っている曲でもある『虚言症』。『無罪モラトリアム』~一連のヒットシングルから更に新たな別次元へと連れ去ってしまった、私にとって驚異的な曲だ。ライヴではさすがに打ち込み部分の完全再現とはならず、しかし亀田師匠のベースラインが印象的に響き渡る。


 そして『積み木遊び』へ。先攻エクスタシーのときはメンバー紹介にも用いられた、このときのライヴでかなりのウエートを占めた曲だと思っていたのだが、それが今回はもう演ってしまうなんて。これでいいのかという戸惑いと、この先林檎ワールドがどこまで拡大されるか計り知れないという期待感で膨らむ。手術着姿のスタッフがステージ両脇に現れ、例のフリを林檎嬢に合わせて決める。ステージ上のメンバーを写真に撮るために出てきた女スタッフも看護婦姿だ。


 バンドメンバーも全員が白衣姿。どうやら病院/手術室をイメージしたステージのようで、最後方には心拍数を表すモニターがあり、上部には丸い照明。向かって左には、学校の理科実験室にある人体模型のような人形がある。こうした一連の表現手段。一見凝りに凝っているように見えるが、ミュージシャンならば表現手段を貪欲に追求するのは当然という気もする。最近はこんなミュージシャンがめっきり少なくなり、だからこそ私の心は彼女に揺り動かされたのかもしれない。彼女のこういった姿勢はプリンスやレッド・ツェッペリンにも比肩する、と勝手に思い込んでいる。


 『あおぞら』はノイジーでアップテンポな、いわゆる"悦楽編"バージョンで披露。『ギブス』は先攻エクスタシーで既に披露されていた曲だが、シングル大ヒットや彼女自身のアーティストとしての成長も手伝って、1年前とは比べ物にならないほどの壮大さと説得力が備わっている。重いジャブのように私たちの腹をえぐる。


 そして今回も未発表曲が。『ギャンブル』は、重厚なサウンドがカッコよくも、どこかせつなさがにじみ出たような曲。『やっつけ仕事』は対照的に肩の力を抜いたようなラフな曲調だ。どちらも新機軸という趣は感じられず、シングルよりもアルバム向けの曲に思える。というか、もしかしたら『勝訴』のアウトテイクか、あるいはかなり以前に書いていた曲なのかもしれない。・・・といっても、これが時期を経るに従ってマジックを起こすことになるやもしれぬから要チェックである。


 『弁解ドビュッシー』の後、真っ暗なステージ上ではメンバーがもそもそと次の準備を進め、この間客席からはカワイイだのステキだの姫だのと声援飛びまくり。しかしこのじれったい間こそ、次なる衝撃への布石だった。





I'll never be able to・・・






 何度聴いてもどきっとする、この歌い出し。『ここでキスして。』。ストレートで単純で、聴いていてこっちがこっ恥ずかしくなるような歌詞なのだが、この曲こそは私が彼女に引きずり込まれるトリガーとなった、私にとっての椎名林檎の"この1曲"である。他の曲と比較してみると、この曲だけが浮いているように思える。しかしこの感触こそは、彼女がメジャーアーティストとして世に認知されるための発射台だったのであろう。


 『幸福論』、まずは通常バージョン?でバンドメンバーを紹介。紹介し終えると悦楽編モードにシフトチェンジして、再び拡声器を手にする林檎嬢。白ドレス姿で歩き回るその姿は、どことなく引田天功を彷彿とさせる(私だけか、こんなこと考えてるの)。


 MCで、開演前のBGMのブランキーについて話す彼女。と来れば次の曲は『罪と罰』だ。コチラも先攻エクスタシーで披露済みで、当時彼女はこの曲をどうしてもシングルにしたく、EMIに清き圧力を、と呼びかけていた。そしたらそれがほんとうになってしまい、めでたくシングルカットに。彼女はこの曲をブランキーのベンジーに送って聴かせ、結果ベンジーはなんとギターで参加することになったのだ。『勝訴』の中核を成している曲であり、聴けば聴くほどに深みと味わいが出てくる不思議な魅力を備えている。


 『浴室』はピコピコした打ち込み音が廃され、ギターリフと乾いたドラミングが際立つ曲にアレンジされていた。そして『依存症』。『勝訴ストリップ』のラストを飾り、難解で混沌とした曲調だ。これは『無罪』のラストを飾っていた『モルヒネ』にも共通していて、アルバム3枚作ったら椎名林檎は終わり、と公言してはばからない彼女自身の今後のあり方をも暗示しているように思える。ライヴでは例のクルマの名前もはっきりと歌われた。ラストに延々と響く壮絶なギターソロは、キング・クリムゾンの『Starless』を彷彿とさせる。


 ステージはこれまた静と動のコンビネーションが絶妙(なアレンジで演奏された)『シドと白昼夢』から『病床パブリック』へと繋がれて本編終了。もちろん場内はアンコールを求める拍手の渦となるが、なかなか現れない林檎嬢及びメンバー。衣装替えでもしてるのかと思ったが、変わらない格好で数分後に姿を見せた。


 アンコールは『同じ夜』でスタート。最初のワンコーラスはkeyの音色に合わせて優しく歌う彼女。しかし、徐々にヴォルテージが上がり、熱唱、激唱モードに変貌。荘厳なる雰囲気を繰り広げて歌い終える。その後あまり間を置かずに自らの歌い出しで『丸の内サディスティック』へ。再び、そしてこれが最後になるステージアクション。ドレスの裾を自分で持ち、歌いながら客席に視線をやる。マイクコードが引っ掛からないように必死になる手術着姿のスタッフがいた。














 演奏が終わり、ステージを後にするメンバー。客席に向かって手を振りながら去る林檎嬢。スポットライトが林檎嬢のいた位置、マイクスタンドに当てられる。ドックンドックンという鼓動の音が場内に響き、後方の心拍数モニターの波長が徐々にゆっくりになる。


 やがて鼓動音が停止。モニターの波長も波から線になってしまった。スポット下のマイクスタンド前に花を添える手術着姿のスタッフ。ここで幕が下ろされる。・・・林檎嬢の白いドレスは、つまり死に装束だったのだ。



































 今回の下剋上エクスタシーツアーは全てがホール会場。彼女を取り巻く状況は一変し、需要過多で今やライヴハウスでの公演など夢のまた夢状態になってしまった。そして肝心の彼女のライヴパフォーマーとしての力量は、果たしてホールというキャパに対抗し得るのか?という一抹の不安もあった。


 しかしそれは杞憂に終わった。この日私は何よりも、彼女の声に打ちのめされた。プレステ2のCMで、ビルの屋上で男がビシバシ殴られ、しまいには蹴り飛ばされてビルから吹っ飛ぶシーンがあるが、私は彼女が発する天井をも突き破らんばかりのハイパーな歌声に、ブチ抜かれてしまっていたのだ。


 ただし・・・、その彼女の歌声に、そしてパフォーマンスに、私はある種の悲壮感を感じていた。まるで彼女が自分で自分の命を削っているかのような、自分が生きるためのエネルギーを私たちに向かって発することで生き急いでしまっているような、そんな悲痛さを感じてしまったのだ。




(2000.5.4.)




































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