Summer Sonic 2006/Day 2-Vol.3 Linkin Park/Massive Attack







ミューズが終わると、アリーナ前方ブロックからは少し人が流れ出し、混雑が緩和された。しかし、後方ブロックから人がどんどん前方ブロックに流れたので、結果的に前方ブロックは同じような混み具合に。ではあるが、後方ブロックまでもがいっぱいになることはなく、結構ゆとりが見えた。対照的にスタンド席には空席が見当たらなくなり、席に座れない人が通路や階段にまで座り出した。そんな状態の中で、2日目マリンステージのトリとなる、リンキン・パークが始まった。


ステージは、後方に「LP」の文字が入った幕が掲げられていた(「P」の字は裏返っている)。後方は一段高いひな壇になっていて、そこにドラマーとDJが陣取っている。前方にギターとベースがいて、それぞれに淡々と弾いている。そしてライヴを牽引しているのは、ヴォーカルのチェスター・ベニントンと、つい先ほどフォート・マイナーでも演っていたMCのマイク・シノダだ。2人は立ち位置を固定することなく、広いステージの右端や左端にまで歩み寄りながら歌い上げ、ラップビートをかます。ことライヴの場において、ギターやベースといった生楽器勢がこれほど地味なのには驚いた。


序盤で早くも『Somewhere I Belong』や『Numb』といった看板的な曲が放たれ、それに呼応するオーディエンスのテンションの高さも凄まじく、アリーナでは水を撒き散らしたりペットボトルを投げ込んだりと(ホントはこういうことはやっちゃいけない)、やりたい放題。そして中盤になり、マイクがなんとモッシュピットに向かって通訳のできる奴はいるかと呼びかけた。やがて、ひとりのヒップホップ風のいでたちをした兄ちゃんがステージに上がった。彼はマイクに耳打ちされると、「新曲やっちゃうって~♪」だと。でもこれって、マイクが直接「new song」とだけ言えばよかったんじゃ?


このまま最後までリンキン・パークを観続けてもよかったのだが、私の中にある考えが浮かんできた。リンキンとソニックステージのToolはほぼ予定通りにスタートしているが、マウンテンステージはDJシャドウがおして終わった様子で、15分遅れの進行になっているらしい。とすれば、仮に規制がかかるとしてもToolが終了する前にマウンテンステージに滑り込めれば、マッシヴが観れるのではないかと踏んだのだ。というわけで、マリンステージを後にすることにした(なので、今年は2日間とも花火を見れなかった)。





『In The End』の音漏れを耳にしつつ、どうか規制がかかっていませんようにと願いながら、早足で歩いた。10分くらいでメッセに到着したが、結構出てくる人もいたので、これは大丈夫かなと少し安心した。そしてマウンテンステージに入るが、入り口こそ混み合っていたが、中まで入ってしまうと結構余裕があった。そしてステージは、マッシヴ・アタックのライヴ中だった。時間的に、始まって15分くらいというタイミングだったと思う。


ステージはかなり暗めで、バックライトがメンバーを照らす形になっており、メンバーはシルエットしか見えず、表情や細かい動きというのが判別でいない。後方には横長のスクリーンがあって、レベルインジケーターのように発光している。来日は2003年のフジロック以来だと思うのだが、あのときは後方に巨大なスクリーンを用意し、反戦メッセージをしかも日本語で延々と放ち続け、広大なグリーンステージをいっぱいに使い切った、壮大にして圧巻のライヴだった。今回はインドア向けのセットで、インドアに抜擢されたからこういうセットにしたのか、それともこういうセットだからインドアにしてくれとバンド側が言ったのか、とか、そんなことをあれこれと考えてしまった。


バンドは3月にベストアルバムをリリースしていて、今回はそれにリンクしたグレイテストヒッツツアーだ。およそ駄作がなく、どのアルバムも聴き応えがあるのだが、個人的には98年作の『Mezzanine』が最も好きな作品だった。中盤で、タイトル曲に『Teardrop』、更には『Angel』と、3曲も連続で聴けたのがとても嬉しかった(場内のリアクションが上々だったのは、むしろ意外だった)。曲毎にリードヴォーカルが代わるのもこのバンドの特徴のひとつなのだが、『Teardrop』のときは白人の女性ヴォーカルがステージに現れ、向かって左側に立って歌っていた。そのとき、私の脳内では生命の誕生を映し出しているこの曲の「絵」が繰り広げられていた。





今回はメッセージ性は出して来ないのかなと思っていたら、後半になって彼らはやり出した。『100th Windows』の冒頭の曲である『Future Proof』のときから、後方のスクリーンに、イラク戦争での戦死者数とか、アメリカ政府が浪費した金額とか、といったことを表記する英文が右から左へと流れた。彼らが持ちうる政治性やメッセージ性は、今なお失われていないということだ。ただ、スクリーンが下目に設置されていたのでメッセージがよく読めないこともあり、もっと上の方に掲げていればよかったのに、とも思った。


ライヴはなおも淡々と進んだ。1曲毎に緊張感がみなぎり、演奏が終わり若干の静寂が訪れると、これで終わったのかなと一瞬思う。それが次の曲の演奏が始まると、私たちは再び歓喜に浸る。そういう状態が続き、いよいよ最後の瞬間となった。『Mezzanine』の実質的なラストナンバーである、『Group Four』だ。私が初めてマッシヴのライヴを観たのは98年のリキッドルームなのだが、そのときのラストもこの曲で、壮絶なパフォーマンスに度肝を抜かれて会場を後にしたのを記憶している。そしてここでも、終盤のいつ終わるとも知れないインプロヴィゼーションは健在で、ギターを軸にしたノイジーでメタリックなサウンドが、まるで地球の最後を思わせるかの如く凄まじかった。演奏のテンポが速まるのにシンクロするように、後方スクリーンに表示されるメッセージも、流れるスピードが速くなって読み取れなくなってしまった。壮絶をどこまでも突きつめ、そしてやり切ったときに、歓喜の瞬間が訪れたのだ。











今年のサマソニは、チケットの事前ソールドアウトが示すように会場内外に人が多くて、まずそのことに驚かされた。そして非常に残念ではあるが、今年もまた事前及び当日の仕切りの悪さが随所に現れ、そのたびに不愉快な思いをさせられた。ではあるが、2日間に渡って観てきたライヴの多くは精度が高く満足のいく内容で、充実感に浸ることができた。そしてこの2日間を無事に過ごし切ったことで、私の夏も終わりを告げた。


(2006.8.18.)
















Back(Vol.2)





Copyright©Flowers Of Romance, All Rights Reserved.