"衝撃のファーストアルバム"、あるいは"記念すべきデビューアルバム"というこれらの常套句は、『In The Court Of Crimson King / クリムゾン・キングの宮殿』のためにあることばなのではないかとつくづく思う。冒頭に流れる荒涼とした20数秒間のイントロに続き、クラシックやジャズの要素をも吸引した得体の知れない楽曲群が次々に響き出すこのアルバムは、UKチャートでビートルズの『Abbey Road』を蹴落として第1位を獲得。当時のビートルズの大きさと、ほとんど無名に近かったクリムゾンの立場とを対比してみれば、それがどれだけ衝撃的だったかが計り知れるというものだ。更にはそのクリムゾンの名を売ったのが、ストーンズがブライアン・ジョーンズ追悼の意を込めたハイドパークコンサート。イギリスを代表する両巨頭がクリムゾンのデビューにからんでいるという事実もなにか運命的だ。1969年、時代は動こうとしていた。
激しいメンバーチェンジを繰り返すクリムゾンだが、『Island』の後はロバート・フリップ1人だけになってしまう。しかしイエスからビル・ブラッフォードを、ファミリーからジョン・ウェットンを迎えるなどしてバンドは再生。後に"ヘヴィー・メタル・クリムゾン"と呼ばれたこの時期はインプロヴィゼーション志向を強め、その場その場で楽曲に新たな生命を吹き込む驚異的なライヴを続けていた。しかしその高すぎるテンションは長くは続かず、ついに1974年の『Red』で幕を閉じることになる。「星ひとつない、聖なる暗黒」と歌われたラストの『Starless』には、バンドが悟りの境地に達し最早音楽的にこれ以上突き詰めようがないところまで到達してしまったかのような壮絶さがあった。
1981年、ディシプリンという名で活動しようとしたバンドはキング・クリムゾンに変更。突如の再結成が実現してしまう。フリップはブライアン・イーノとのコラボレーションや自身のソロ活動、ピーター・ガブリエルやデヴィッド・ボウイの作品への参加という活動を続けるうち、自らの内なる創作意欲が換気されたと思われる。ついには来日公演も実現。しかしこの活動も長くは続かず、やがて解散。フリップ自身のことばを借りれば、『Discipline』を作り上げた時点で目的は達せられ、後の2枚のアルバムはレコード会社との契約履行のために作った、とのことだった。
しかしクリムゾンの歴史は終わらない。ギタークラフツの主催から後の参謀格となるトレイ・ガンを輩出し、デヴィッド・シルヴィアンとのコラボレーションではツアードラマーにMr.ミスターのパット・マステロットを迎え入れる。こうした動きが呼び水となり、やがて"ディシプリン"クリムゾンのメンバーでもあったエイドリアン・ブリューにトニー・レヴィン、そして盟友ビルの計6人で"ダブルトリオ"クリムゾンを94年に立ち上げる。g、b、dsそれぞれ2人ずつという編成が織り成すサウンドの歪みが新たなコンビネーションを生み、更にはヘヴィーメタル期を彷彿とさせるノイジーで重厚なサウンドが復活する。
その後、今度はダブルトリオ内で実現しうるバンド編成を何パターンも作り、プロジェクトシリーズとしての活動が進む。今後のクリムゾンの方向性を定めるための試みであり、バンドのパターンはプロジェクト1から4までができ上がった。従来のクリムゾン的手法の更なる深化、あるいはクリムゾンでは成し得ない実験的サウンドの追求。これらの試行をフリップがまとめ、メンバーそれぞれの意向も汲んだ結果、プロジェクト0イコール2000年型クリムゾンはフリップ、ブリュー、ガン、マステロットの4人という編成になった。2000年5月、『The Construction Of Light』が発表される。
個人的にはメンバーがおのおのの楽器を駆使してバトルを繰り広げ、異様な緊張感と凄まじさを生み出していたヘヴィーメタル期が最も好きなのだが、さりとて以降のクリムゾンが過去の遺産にすがった方法論の拡大再生産だとも思わない。解体、そして再生を繰り返しながら今なお進化と深化を続ける驚異のバンド。彼らのライヴにハズレはない。そして5年ぶりの来日公演は、21世紀にクリムゾンがどう展開していくのかという道標にもなるはずだ。
(2000.10.2.)