Pet Sounds - "奇蹟の大傑作"誕生

ブライアン・ウィルソン・ストーリーVol.2

 1965年に入ってもビーチ・ボーイズの快進撃は続いた。『Help Me,Rhonda』(全米第2位)、『California Girls』(全米第3位/私は'85年のデイヴ・リー・ロスによるカバーの方を先に聴いた)等のヒット曲を連発。しかし、この年の暮れにブライアンは大きな衝撃を受けることとなる。


 その衝撃の源はビートルズが発表したアルバム『Rubber Soul』であった。それまでの音楽シーンでは、シングルヒットこそ命的な考え方が蔓延しており、アルバムはシングルの寄せ集め的な位置付けしか持ち合わせていなかった。消費者の購買意欲も、自分の聴きたい曲だけを安価に入手できるシングルに集中していたようである。それが、『Rubber Soul』はアルバム全体を貫くトータル性、1つのコンセプトによって形成されており、それまでのアルバムのあり方を180度方向転換させるきっかけとなったばかりか、ロック・ミュージックが芸術性を兼ね備えることができることを証明してみせたのだった(しかし、私個人としては何度聴いても『Rubber Soul』の素晴らしさを実感することはできないのだけれど)。そして、なによりもこのアルバムの制作によって、天才ミュージシャンとしての才能を覚醒させつつあったポール・マッカートニーにブライアンは強く刺激されたのである。


 1966年1月、ビーチ・ボーイズは極東ツアーの一環として初来日を果たす。がしかし、既にツアー脱退を表明していたブライアンは同行していなかった。ブライアンはスタジオにこもり、セッションミュージシャンを招いてレコーディングに突入する。3月にはブライアン名義で『Caroline,No』を発表。続いて5月にアルバム『Pet Sounds』を発表する。打倒ビートルズを志したブライアンが自らの魂をすり込んで作り上げた、時空を超えた傑作アルバムがここに誕生した。


 『Pet Sounds』は、それまでのビーチ・ボーイズの音楽とはまるで異なっていた。夏/海/サーフィンといった楽天的な雰囲気はかき消された。歌詞は、ブライアン自らの恋愛観とも受け取れる内省的なものが多かった。多くの楽器が持ち込まれ、それらが幾重にも重なって奥行きと立体感が生まれたサウンドがアルバム全体を彩った。それにもともとのビーチ・ボーイズの必殺技であったコーラスのハーモニーがプラスされ、1999年の今なお少しも古さを感じさせない、何度聴いても飽きることのない、不変にして普遍的なポップ・ミュージックがこのアルバムには凝縮されている。そして、このアルバムはビートルズの『Sgt.Pepper's ~』が発表される1年前に世に生み出されたのだ。『Sgt.Pepper's ~』に触発されて作られたアルバムは世に数多く存在するが、『Sgt.Pepper's ~』に影響を与えたアルバムといったら『Pet Sounds』しかない。もちろん墓の中にまで持って行きたい私のベスト・ビーチ・ボーイズ・アルバムである。


 ビートルズは『Pet Sounds』に刺激されてシングル『Here There And Everywhere』をレコーディングしたという。また、当時アート・ロックの旗手的存在であったクリームの面々もこのアルバムに魅せられた。『Pet Sounds』はミュージシャンや評論家たちには手放しで迎えられ、最大級の賛辞を受けた。


 がしかし、『Pet Sounds』はそれまでのビーチ・ボーイズの路線を求めていたリスナー、そしてレコード会社であるキャピトルには到底受け入れ難いアルバムであったようだ。全米で50万枚の売り上げを記録はしたものの、この数字はそれまでのアルバムセールスを大きく下回っていた。そして何より、ブライアン以外のメンバーに『Pet Sounds』は歓迎されなかった。ブライアンがほとんど作り上げてしまった作品に彼らは歌入れすることしかできなかった。バンドのマネージャーをしているブライアンの父にも、お前たちはサーフィンミュージックやってりゃいいんだろうという言われ方までされた。


 このように、ブライアンの才能やブライアンの苦悩を受け入れる土壌がこの頃のビーチ・ボーイズの周囲には皆無に近かった。しかし、ブライアンはここで手を休めることなく、更にビートルズを、ビートルズを越える作品を生み出すことに自らの魂を注いでいくのである。




(99.7.7.)
















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