Surfin' USA - サーフィン/ホットロッド

ブライアン・ウィルソン・ストーリーVol.1

 カリフォルニアに生まれたブライアン・ウィルソン(b,vo)は、弟であるデニス(ds,vo)、カール(g,vo)、従兄弟のマイク・ラヴ(vo)、友人のアル・ジャーディン(g,vo)とバンドを結成。グループ名を何度か変えたのち、ビーチ・ボーイズとして1961年暮れにシングル『Surfin'』でデビュー。翌年にはタイトル曲を含むファーストアルバム『Surfin' Safari』を発表。アル・ジャーディンはこの後バンドから脱退し(後に復帰)、デヴィッド・マークスがその代わりに加入してバンド活動は続く。


 1963年にシングル『Surfin' USA』を発表。全米第3位を記録する大ヒットとなり、ビーチ・ボーイズのスタイルを決定づけることとなる。極論を承知で書くが、この曲は世界で2番目に有名なロックナンバーだ(1番目はビートルズの『Yesterday』)。同年に同名のアルバムを発表。こちらも全米第2位を記録する。夏/海/水着の女、という図式とサウンドがリンクされるひとつのイメージができあがった瞬間であったと思う。日本でも山下達郎やサザン、チューブなどが夏/海辺のイメージとして聴かれ、語られることが多いと思うが、ビーチ・ボーイズこそはその元祖であり、そして今もってその頂点に君臨していると思っている。がしかし、メンバーの中で実際にサーフィンをするのはデニスひとりだけとのこと。


 『Surfin'』『Surfin' Safari』『Sufer Girl』、そして『Surfin' USA』・・・。なんだか似たりよったりの曲ばっかりで、よくぞここまでやったなという印象が強いが、とにかくビーチ・ボーイズによる『Surfin' USA』の大ヒットによって、サーフィン・ミュージックはそのピークを迎えた。当時はそのような実感はなかったのかもしれないが、今現在から60's前半を振り返るとそういう見方が大半だと思う。ビーチ・ボーイズのこれらの曲はもちろんvo入りだが、サーフィン・ミュージックというのはもともとはインスト・ナンバーが中心だったそうだ。また、エルヴィス・プレスリーが歌った曲にもこの中にカテゴライズされるものがあるらしい。


 対してホットロッド・ミュージックというのは"車"がテーマであった。こちらの方はアルバム『Little Deuce Coupe』と、翌1964年に発表された『Shut Down Volume 2』に結集されている。『Shut Down ~』からはシングル『Fun,Fun,Fun』が大ヒット(全米第5位)。また、このアルバムからアル・ジャーディンが復帰している(デヴィッド・マークスが退く形となる)。この後もライヴアルバムやクリスマスアルバムなどをたて続けに発表し、しかもいずれも大ヒットを記録。そしてシングル『I Get Around』で初の全米ナンバーワンを獲得。結局、この間3年足らずの間に8枚ものアルバムを発表するという、今では到底考えられないハイペースのリリースだった。


 しかし、この1964年というのは、他ならぬビートルズがアメリカ上陸を果たした年でもある。ヒットチャートの1位から5位までをビートルズの曲が独占し、ベスト100に15曲もランクインし、TV番組「エド・サリヴァン・ショー」に出演して視聴率がうなぎのぼりになったという、空前のビートルズブームが巻き起こった年なのだ。ブライアン・ウィルソンはヒット曲を生み出さなければならないプレッシャー、過密なライヴスケジュール、そしてこのビートルズ進攻などが重なってドラッグに手を染めるようになり、この年の暮れにコンサートツアーに出ないことを表明する。この直前にブライアンは結婚を果たしているのだが、それも前述の脅威や恐怖を和らげるには足りなかったようだ。


 コンサートツアーに出ることをやめたブライアンは、以後スタジオにこもって偏執的にレコーディングに没頭するようになる。




(99.7.7.)
















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