グラミー受賞はもとより、今やノーベル賞にノミネートされたり20世紀の偉人の1人に数えられたりしているボブ・ディラン。確かにディランは凄い。ディランはカッコいい。ディランはロックだ。もしロックの本を作るとしたら、2ページ目にはビートルズ、3ページ目にはローリング・ストーンズが来るだろう。そして巻頭ページを飾るのはもちろんボブ・ディランで異論を挟む人は少ないはずだ。
だけど、このように扱われることを当のディランは果たして望んでいるだろうか?
92年、ディランのキャリア30周年を祝うコンサートがニューヨークのMSGで開催された。ディランと親交の深いアーティスト、ディランをリスペクトしているアーティストが大挙集結し、ディランの曲を歌い演奏した。場内がクライマックスに達しようかというそのとき、ついに本人が登場。だけどその表情は硬く、どこか居心地悪そうだった。もちろん出演してくれたアーティストには感謝しているのだろうが、こうしたお祭りムードは本人にとって歓迎せざるところであったに違いない。ディランは自分の曲をいつもの自分のライヴと同じように演奏した。
97年、ディランは通算5度目の来日公演を行った。その東京公演、当時オープンしたばかりの国際フォーラムでとんでもないことが起きた。ライヴ後半で自然発生的に客がステージ前方に集まり出し、やがてライヴハウス状態になる。椅子席のある会場では極めて異例のことだ。アンコールで『雨の日の女』が始まるが、ステージに上がり出す客もいてディラン本人が歌えなくなってしまい、バックバンドの演奏だけが続く。
こうしたもみくちゃ状態の中、私は至近距離でボブ・ディランを見た。メディアの取材を嫌い、いつも機嫌悪そうにしていて、自分のレコードを聴き返さないというこの偉大な巨人の姿を見た。茶色のスーツをまとい、白いブーツを履いていた。小柄で華奢な体形ながら、少し腹が出ていた。そしてその表情だが、驚くことに笑顔に満ちていた。混乱し訳がわからない状態になり、一歩間違えば怪我人が出たり事故が起きたりしていたかもしれないこの状況の中で、ディランは笑っていたのだ。
大げさな御膳立ても、過剰な絶賛も、立派そうな肩書きも、ディランには意味がないのだと思う。ディランはレコードとライヴでのみ、外部とコミュニケートすることを望んでいる。それがミュージシャンでありプロフェッショナルなのだと信じている節がある。そしてそれがなし得たと確信できたとき、ディランは解放されて自由になれるのではないだろうか。あの笑顔を私はそう勝手に解釈している。
ディランは88年からネヴァー・エンディング・ツアーと題したツアーを続けていて、そのツアーはなんと現在も続行中だ。年齢や体力のことを考えればそれは驚異に値するし、周囲の方が気を揉んでしまう。しかしディランにしてみれば、ツアーをするのは自分のなすべきことをしているだけにすぎないという意識しかない。世界中をかけめぐり、客の前に立って演奏をし続けることは、ごく自然で当たり前のことなのだろう。
ライヴでは自分の曲をレコードと同じアレンジでは演奏しない。あるときは原曲の面影がまるでなくなるくらいに崩しに崩し、サビを歌われてもそれと気付けないこともしばしばだ。ディランの音楽は深い。どこまでディランのことを知れば、ディランのファンだと口にできるのか。どこまでディランの音楽を聴き込めば、ディランを理解したと言えるのか。それを試されているようなところもある。でもそれって、ディランがツアーという旅を続けているように、私たちにとっても長い旅を続けることに当たるのではないだろうか。
(2001.1.6.)
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