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デレク&ドミノス(Derek & The Dominos)

デレク&ドミノス(Derek & The Dominos)『Layla And Other Assorted Love Songs』

クリーム末期よりアメリカ南部志向の音楽に惹かれていたが、ブラインド・フェイス解散後に選んだ道は、オープニングアクトとして一緒にツアーを続けていたデラニー&ボニーとの共演だった。「フレンズ」の一員として彼らのバンドに加わり、ツアーに参加。更にメンバーに刺激されたクラプトンは、自ら歌うことを習得。そしてこのときのメンツをごっそり引き連れる形で、初のソロアルバムを制作する。

ソロと同時並行となる形で、クラプトンはフレンズのメンバー3人とデレク&ドミノスを結成。名作『いとしのレイラ』が産み出される。68年頃からとの交友が始まったクラプトンだが、その妻パティに恋焦がれてしまうという事態に陥っていた。一方でマジュヌーンが手の届かない女性レイラと恋に落ちるというペルシャの小説を読んで気に入り、マジュヌーンを自分に置き換えて『Layla』を書いた。デュアン・オールマンとのツインギター、力まかせだが、情熱溢れるクラプトンのヴォーカル。後半延々と続く、ピアノとギターのソロ。当時25歳のクラプトンが放った世紀の傑作であり、時の審判などものともしない、今改めて聴いても胸を打つ感動の曲だ。

デレク&ドミノスが長続きしなかったことは、残念で仕方がない。アメリカ南部志向の音楽を好き放題やり、歌うことも覚え、ギターも弾きまくり、クラプトンが理想としていたことがここではほとんど実現してしまっているのに。解散の原因は、セカンドアルバム制作中、クラプトンとドラムのジム・ゴードンとの仲違いだと言われている。しかし実情は、とデュアン・オールマン、それに祖父が亡くなり(幼少の頃両親は離婚。祖父母がクラプトンを育てた)、ドラッグ漬けに陥ってしまって、音楽どころではなくなったのではないだろうか。

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