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ヤードバーズ(The Yardbirds)(1)

The Yardbirds『Roger the Engineer』

ヤードバーズほど、その音楽性が、そしてバンドトータルとして、きちんとした評価がされてこなかったバンドはない。日本で今まで何度も繰り返し語られてきたのは、「3大ギタリストが在籍していたバンド」という言い回しだ。確かに、のヤードバーズ以後の活動はめざましいものがあるし、優れた音楽をいくつも生み出してきた。ではヤードバーズは、ほんとうにそれだけのバンドだったのだろうか?

ヤードバーズは、より少し遅れて63年にデビュー。このころのバンドの多くがそうであったように、黒人音楽のカヴァーからスタートしている。クラプトン在籍時はほとんどがカヴァーで、自作曲は数えるくらい。そして、後に10CCとして活躍するグレアム・オールドマンが書いた『For Your Love』のポップ性に嫌気がさしたとされ、クラプトンはヤードバーズを脱退する。

後任ギタリストはジェフ・。ベックはそれまでトライデンツというバンドに在籍していたが、実質的にヤードバーズがプロデビューとなる。ベックは黒人音楽の中でもロカビリーに強く影響を受けていて、それを自らのギターで表現するようになる。バンド演奏曲もカヴァーから自作曲の比率が高くなった。マネージャーの思惑もあり、ビートルズやストーンズのアメリカ成功などに倣って、バンドはアメリカにも進出する。

やがてベーシストのポール・サムウェル・スミスがバンドを脱退し、ジミー・ペイジがベーシストとして加入。しかし、元々ベック=ペイジのツインリードの構想があって、リズムギターのクリス・ドレヤがベースを覚えるまでの期間、ペイジがベースを担当したという話もある。このツインリード時代こそがヤードバーズのピークだったと思う。この時期に書かれた曲はわずか3曲だが、ベックとペイジの音楽性が結集した、驚異的な瞬間であった。しかしベックは体調を崩しがちでツアーについて行けず、やがてヤードバーズを去る。

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