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ホドロフスキーのDUNE(2013年)

公開日: : 最終更新日:2021/10/18 デューン/砂の惑星 ,

ホドロフスキーのDUNE

フランク・ハーバート原作のSF小説『デューン』は、1984年にデヴィッド・リンチ監督、カイル・マクラクラン主演で映画化(『デューン/砂の惑星』)。そして今年、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、主演で劇場公開。しかし、1975年には絵コンテまで制作されながら頓挫したことがあり、そのドキュメンタリーが公開されていた。

監督のアレハンドロ・ホドロフスキーが当時の状況を語るのを軸にしつつ、制作に携わった人たちもコメントを寄せている。ホドロフスキーが考えたキャスティングは、主人公ポールを息子ブロンティス、オーソン・ウェルズをハルコネン男爵、サルバトール・ダリを皇帝シャッダム4世、ファイドを(!)だった。

オーソン・ウェルズにオファーしたときは緊張しまくり、ミックは割とあっさりOKしてくれたとのこと。ダリはギャラが高額だったが、出演シーンを最小限にとどめることでなんとか着地したそうだ。

制作では、絵コンテ制作をバンド・デシネのメビウスことジャン・ジローを起用。劇中、この人が手がけた絵コンテが何度も登場し、これだけでこの映像は見る価値がある。建造物のデザインには、H・R・ギーガーを起用。この人にとっては、映画に携わるのはこのときがはじめてだそうだ。この人は、この映画公開の翌年に亡くなっている。

準備は着々と進められていたが、スポンサーが資金を打ち切ったために突如制作が頓挫。なんとも呆気ない幕切れだった。しかし、スタッフの多くは『エイリアン』制作に携わったとのことで、あの傑作が生まれたことが裏付けられたことにもなっている。1975年というと、まだ『スター・ウォーズ』も『未知との遭遇』もなかったので、早すぎたのかもしれない。

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