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フー・キルド・ナンシー(2009年)

公開日: : Sid Vicious

フー・キルド・ナンシー(2009年)

シド・アンド・ナンシー』は、想像や脚色が入った伝記映画だ。しかし、シドは本当にナンシーを殺したのか、誰がナンシーを殺したのかというテーマに切り込んだドキュメンタリーが、2009年に公開されている。監督はアラン・パーカーという人。『ザ・ウォール』などを監督したアラン・パーカーとは別人で、本来は伝記作家だ。シドの母から真相究明を依頼され、シドやナンシーに関わった人に取材し、評伝を出版。それを原作として、映像も制作された。

とナンシー・スパンゲンは、ニューヨークのチェルシーホテル100号室で暮らしていた。2人ともドラッグ中毒だったが、1978年10月12日、ナンシーはバスルームで血まみれになっているところを発見され、死亡が確認。死因は腹部をナイフで刺されたことで、シドが所有しているナイフだった。シドは逮捕・起訴されるが、後に保釈。4か月後の1979年2月にシドはドラッグのオーバードーズで亡くなり、被疑者死亡によって捜査は終了している。

ナンシーが殺害された、シドが逮捕された、シドが死んだ、という当時の新聞やテレビの報道映像は、かなり衝撃的だった。

劇中、インタビューに答えているのは、DJのドン・レッツや、シドのソロ活動でバックバンドを務めたメンバーなど。でシドの前任ベーシストだったグレン・マトロック、そしてアラン・パーカー本人もコメントを寄せている。彼らのほとんどが、シドはナンシーを殺していないと主張。それまでの素行から、シドが疑われるのは仕方がないにしても、警察は的確な捜査をしなかったとしている。

ナンシー発見の前夜、100号室には多くの人が出入りしていた。凶器となったナイフは、指紋が拭き取られていた。同室にいてドラッグに溺れて眠っていたシドに、それができたとは思えない。また、室内からは金品の盗難も確認されている。ラストで、バンドメンバーだった男が、犯人はマイケルだ!と言い、似顔絵を提示。マイケルって誰?と思うのだが、100号室に出入りしていた男のひとりだったようだ。

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