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シド・ヴィシャスとジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)、そしてフラワーズ・オブ・ロマンス

P.i.L.『Flowers Of Romance』

映画『シド・アンド・ナンシー』を見てから、いろいろと調べている。

シドは元々のファンで、ピストルズの親衛隊をしていたそうだ。ジョニー・ロットンとは友人。そんなシドのジシャンとしての最初のキャリアは、スージー&ザ・バンジーズのドラマーだった。

しかし、コレはライヴ1回きりでやめてしまい、続いてはジョンが名付け親となったバンド「フラワーズ・オブ・ロマンス」のヴォーカルを務めるが、コチラはリハーサルだけで世に出ることなく消滅。そして、グレン・マドロックがクビになった(自分からやめたという説もある)後を受けて、ピストルズに加入。当時、ベースはほとんど弾けなかったという。

終始ドラッグに溺れてめちゃめちゃだったシドに対し、ジョニー・ロットンはクールだったと思う。ピストルズとしての活動も、とてもじゃないが長くは続かないと、暴れているようでいて実は醒めていたように思われる。元々マルコム・マクラーレンが持って来た話に乗っただけのことで、自分がミュージシャンとしてほんとうにやりたいのはここからだと、本名のに戻して始めたのがパブリック・イメージ・リミテッド(P.i.L.)だったのではないだろうか。

ただ、人間としてもアーティストとしても大人になっていくライドンは、シドのことを手に負えないしようのないやつだと思う一方で、うらやましく思っていたのではないだろうか。シドは大人になることを拒否し、何者にも支配されず、自由なまま死んでいったようにも思える。そんなシドのことを思いつつ、ライドンはかつて自分が名づけたバンド名の曲を書き、果てはアルバムの名前につけたのではないだろうか。

シドが死んでから2年後の1981年4月、『Flowers Of Romance』はP.I.L.の4枚目のアルバムとしてリリースされた。

それから17年後の1998年7月。ワタシはサイトを立ち上げ、そのタイトルに「Flowers Of Romance」と名づけた。

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