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CROSSBEAT Special Edition マニック・ストリート・プリーチャーズ

CROSSBEAT Special Edition マニック・ストリート・プリーチャーズ

2018年、アルバム『Resistance Is Futile』のリリースにリンクさせるようにして、マニック・ストリート・プリーチャーズのムック本が発売されている。

冒頭が、その新譜にかかるインタビューとディスクレビュー。以降は、ほぼ時系列順にインタビューとバンドヒストリーが交互に掲載されている。93年から99年の困難な時期にインターバルができてしまっている以外は、バンドはほぼコンスタントに日本を訪れ、そして毎回インタビューに応じてくれていることがわかる。写真も豊富で、初期の頃はジェームスはサングラスをかけ、ショーンはロングヘアで、4人ともとんがっている印象。それが年月を経るにつれ、少しずつ柔和な表情に変わっているように思える。

全ての来日公演のセットリスト(主に東京公演分)も掲載されていて、個人的に足を運んだ公演と重なるものもあり、そのときのことを思い出す。個人的にはじめて彼らのライブを観たのは、99年の赤坂ブリッツ公演だ。

ウェールズ国旗をステージに掲げるのも、ニッキーのマイクスタンドがデコレーションされているのも(今回の来日公演ではなかったけど)、最初からではなくキャリアを重ねるうちに追加していったとのこと。バンドはこれまで200曲近い曲を書いているが、ラブソングは『Everything Must Go』に収録の『Further Away』1曲だけだという指摘は面白かった。改めてバンドの足跡を確認すると、マニックスが如何に特異な存在かがわかってくる。

95年に失踪してしまったリッチー・エドワーズのインタビューも、ジェームスやニッキー、ショーンと並んで収められている。初期マニックスの歌詞を担っていたのはリッチーとニッキーで、リッチーは三島由紀夫や安部公房、太宰治など日本文学もよく読んでいたそうだ。日本のファンからはよく太宰作品を贈られるそうで、オレってそんなに暗いかな?と冗談混じりに答えていた。

そしてだ。後半にはディスコグラフィーがあり、関連人脈解説があり、その後のラストにリッチーのインタビューが掲載されている。日付は1995年1月で、リッチーが失踪する直前つまり最後のインタビューとされている。ロンドン在住の日本人ライターに自らコンタクトをとり、自宅にて取材はおこなわれた。実は前年にリッチーはバンドを離脱し入院していて、退院後になんとか年末のライブに加わってこなしたという状態だった。退院はしたものの、精神的に不安定だったと思われるが、なんでも答えるとして真摯に対応していた。このライターがまとめた記事はその後当人の意に反して音楽誌に載ってしまい、この人はリッチーを利用したというあらぬ批判を浴びたそうだ。この一連を読んでいてやりきれない気持ちになる一方、リッチーが自分のことばを誰かに聞いてほしい、書き留めておいてほしいと思い実行したようにも思えてくる。

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